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食べたいもの


昔、旅先の商店街で天ぷら屋を見つけました。京都の天ぷら屋のことを思い出し、また手頃な

値段だったので試しに入りました。カウンター席に座っていると、揚げられたばかりの天ぷらが

運ばれてきました。季節の野菜の天ぷら定食で、確か千円札でお釣りがきたはず。先日、この

天ぷら屋のある街に行きました。せっかく来たのだからあの店で昼食を、と思っていたところ、知

人の希望を考慮して鮨屋に行くことに。しかし、鮨屋で私が頼んだのは天ぷら。入った店の得意

料理を注文すればよかったのですが、天ぷら屋に行けなかったことの代償のようでした。


その日の夕方。旅先から戻り、お店の立ち並ぶ方角に向かいながら、昼間のことを想い出しま

す。そういえば鮨屋に入って鮨を食べなかった、そう考えると残念な気がしてきました。近くにし

らばく行っていない鮨屋があります。昼ごはん程度の値段で食べられる気さくな店でした。そう

考えて鮨屋に行くことに決めました。


途中、美味しそうなラーメンの香りが漂ってきました。思わず、立ち止まります。歩道に置かれ

た看板を見ると魚をベースにした味付けと説明されています。香りからスープの旨みは容易に

想像できます。新しく開店した店でした。この香り。魚の味付けという新奇性、そして新装開店し

た店への好奇心。


鮨屋に向けて歩いていたはずが、香りに負けて店内へ。ラーメンが運ばれてきます。予想通り

スープは絶品。しかも、そこに浸されていたのは細麺。油っぽさがなくあっさりとしており、それ

でいて旨みの感じられるラーメンでした。再び食べたくなる味です。しかし、ラーメンの本場に

行ってラーメンを食べず、その場所を離れてからラーメンを食べた私。そんなことを考えると、自

分の行動が奇妙にも思えるのでした。


確固とした体の反応のように思われる食欲や味覚。時にそれは不確かで複雑に思われます。

食べられなかったものが無性に食べたくなる。欠落感をうめるように現れる<食べたいもの>。

あの日、食べられなかったものから私を逸らしたのは、言葉では説明しがたい香りでした。しか

し、看板を見た瞬間、珍しさや新しい店への関心が加わります。そして、本場と本場ではない場

所を比較することによって、さっきまで美味しく感じられたものが貶められてしまうことも。言葉

や意味に左右される食欲や味覚。時にその対象は横滑りし、時に固定されるような気がします。
by aphorismes | 2007-09-25 22:28
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