風景は目で眺めるだけのものでしょうか。
ベンチで休憩する時、普段は緑の木を眺めるのですが、今日は、音に集中してみました。聴こ えてくるのは、風の音や蝉の鳴き声。それらを基調として、人の声や、鳥の鳴き声が加わりま す。さらに通り過ぎるオートバイの音。これまで何回も訪れた場所ですが、音に耳を澄ますのは 初めてでした。集中することで意識しなかった音が前景にあらわれます。 意識ではなく行動が音を変えることも考えられます。窓を開けると、遠くにいる蝉や鳥の鳴き 声が聴こえてきます。風といっしょに、屋外の音の風景が室内に入り込むのです。逆に、窓や 耳栓によって外部の音を遮断することもできるでしょう。ヘッドホンの場合、音の遮断ではな く、むしろ音楽によって外の音が聞こえなくなります。 地理的な移動は、見る風景だけでなく、聴く風景をも変えるように思います。郊外と街の中 心、地方と大都市では、音の風景も違うものになるでしょう。また、国の移動によって、私たち は、異質な言葉や音の響きを意識します。空間に加えて、時間的な要素も考えられます。早 朝、鳥や犬などが目を覚まし、一斉に鳴き始める時があります。早朝特有の、清々しい音の風 景です。もっと時間の幅を拡大すると、季節や時代による音の違いが考えられます。例えば、 扇子や団扇の音、扇風機の音、さらにはクーラーの音など、時代によって夏特有の音は積み 重なり、変化してきたことでしょう。 ここで、技術について考えると、ラジオやテレビは、時間的・空間的な隔たりをこえて、遠くの音 や過去の音を私たちに届けてくれるように思われます。しかし、新しい音や異なる音に慣れて しまった私たちは、過去や遠方でその音が聴かれたのと同じ仕方でその音を聴くことはない のかもしれません。 付記 この文章の執筆にあたって、下記の書物を再び拝読させていただきました(もっとも、拙稿は 本の要約や紹介を意図するものではなく、自由な立場から書かれたものであることをご承知 ください)。また、僭越ながら、翻訳書を参照させていただいたことにつきまして、知人を含む 翻訳者の方々にお礼申し上げます。 R.マリー・シェーファー著、鳥越けい子、小川博司、庄野泰子、田中直子、若尾裕訳 『世界の調律ーーサウンドスケープとはなにか』平凡社、1986年
by aphorismes
| 2007-08-03 23:50
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本の中の気になる一節。下手の横好きで撮った写真。古いものに惹かれるのですが、ひょんなことから、このページをたち上げました。
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