人気ブログランキング | 話題のタグを見る

風刺動画の光と影

風刺は一つの批判のあり方で,ユーモアや皮肉が込められている点に特徴があるのだと思い

ます.もっとも,一口に「風刺」といっても,時代の<風潮>に対する風刺や<人物>に対する

風刺など,対象は様々でしょう.ところで,私が取り上げたのは強者に対する風刺に限られま

す.しかし,悲しいことですが,弱者に対するからかいも,この世界には存在します.弱者に対

する過度の風刺やからかいは,避けるべきものです.親しみを込めた,軽い気持ちによる行為

でも,力関係の差が予想外の帰結を生み出すかもしれません.では,強者への風刺に問題は

ないのでしょうか.これまであえて言及しませんでしたが,強者に対する風刺の中にマイノリティ

への偏見が含まれていた場合もあります.弱者への風刺はいうまでもなく,強者への風刺にも

影が付きまとっているのでしょう.


風刺には,言葉や絵など,多様な媒体が考えられます.とくに動画の場合,それを制作するに

は一定の情報機器や操作能力も必要となります.誰もが反射的に真似できるというよりも,一

定の条件のもとで時間をかけて作られるものと思われます.にもかかわらず,すでに動画によ

る風刺が国境をこえて制作され,流通しています.職業的制約の中で作業するプロのつくった

風刺漫画とは異なり,動画共有サイトにおける風刺動画の場合,主な制作者は匿名のアマチュ

アと思われます.かつては与えられるだけであった映像を,人々が与え返す――この社会現象

には,アマチュアによる制作に伴う問題が含まれています.弱者をからかう動画があるのなら,

それが非難されるべきなのは,いうまでもありません.気がかりなのは,強者に対する風刺動

画が,弱者をからかう風刺動画のモデルとなってしまう危険性です.風刺動画といじめの因果

関係について書かれた書物を私は知りません.しかし,通説ができてから対応したのでは手遅

れになることもあります.こうした懸念は,実現してしまうよりも杞憂になるべきものでしょう.風

刺動画の流行が否定的な帰結を連鎖的に生み出すことを防ぐには,それについて何を語り,い

かに論じるべきなのか,そんなことを考えるようになったのです.

もっとも,すべての風刺動画やそれに関する記述を禁ずることは,表現の自由に関する問題を

引き起こすという見方が考えられます.また,風刺動画のなかには,公的な発言権のない人々

の声が響いている場合があるようです.他方,風刺動画は問題の単純化を伴い,偏見を含む危

険性も考えられます.問題は,光と影の交錯を見据えながら,しかも,なお表現の自由を確保

するにはどうすべきか,この点を個々の局面に応じて考えることなのでしょう.では,以下で私

は,このブログに関連し,気がついた事柄と対応策を,一つの提案として,書き留めたいと思い

ます.

一般に,風刺動画は軽視されがちです.その裏返しとして,風刺動画の過剰な称揚が生じる場

合も考えられます.しかし,必要なのは,軽視と称揚のどちらかを選ぶことではないのでしょう.

風刺動画の意義について論じる際は,その否定的な側面についても配慮したいと思います.

次に,文章の主旨からいって,風刺動画や動画共有サイトの名称に言及しなくても議論が成

立することも考えられます.そのような場合は,名称を記号におきかえたいと思います.この考

え方からすれば,風刺動画へのリンクだけの投稿は成立しなくなります.

名称を記号に置き換えるのは,過剰な流行を引き起こすことへの警戒感を示すためです.ま

た,同様の理由から,短期間に集中的に,風刺動画についての議論を行うことにはできる限り

慎重でありたいと考えております.

 最後となりますが,ご多忙にもかかわらず,ご意見をご表明くださり,重要な問題に気づくきっ

かけを与えていただいた全ての皆様に感謝とお詫びの言葉を申し上げます.



付記1

・意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが,この文章の出発点は,「自殺と模倣とマ

ス・メディア」(2006年10月30日),そして,この投稿で引用した次の書物です(高橋祥友『群

発自殺 流行を防ぎ、模倣を止める』中公新書、1998年)。

・また,以上の文章は,読者の皆様からの返答と私が想像したものに触発されながら,自分な

りに考えた事柄です.勝手な解釈かもしれませんので,あえてお名前をあげておりませんが,

ご要望などございましたら,メールにてご連絡ください.

・なお,文章末尾における提案は,このブログにおける対応をのべたもので,一般論ではござい

ません.読者層の限定された歴史研究における風刺の扱い方,また,子どもを対象とするテレ

ビにおける風刺動画にたいする対応など,領域に応じた基準があって当然ではないかと思われ

ます.


付記2
若干,修正した文章を再投稿しました.同時に旧稿を削除して入替えました.

そんなことをしている間に日付が変わってしまいました(残念).

付記3
発表時期がずれたため,二番煎じと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが,名称の記号

への置き換えは,自分で考えていたものです.ある考えが,たまたま,人の意見と重なるという

ことが,時には,生じるようですね.

また,「風刺動画の光と影」を書くのには時間がかかりました.様々な事情がありますが,一つ

の理由は,自分なりの文章が書ける心境になるのを待ったということもあります(至らぬ点は

多々ありますが).迅速な対応ができなかった点,お叱りの声もあろうかと思いますが,ご理解

いただければ幸いです.

【関連文書一覧】
デジタル複製技術時代の政治家:権威性のゆくえ

風刺動画をめぐる問い

風刺画の時代 −−−漫画新聞の興隆と国際的展開

自殺と模倣とマス・メディア
by aphorismes | 2007-04-01 00:19 | [資料集] 社会société
<< 近所の知人のウェブサイト ゆっくり行く者は遠くまで行く。 >>