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街路のテント


ある晴れの日。旅先で大通りを歩いていると、出店らしきものが並んでいました。たしか、日用

品や骨董品などが売られていたような気がします。


そんな出店にまじって、一つのテントが張られていました。といっても、大人が入れるようなサ

イズではありません。犬や猫であれば入れるかもしれない、そんな小さなテントでした。


テントは開け放たれており、通行人が中を見られるようになっています。正面には小さな映写

機が置かれており、テントの内側に光線が投影されているのでした。


眩しい陽光のせいか、何が映っているのかはっきりわからず、私は足早に通り過ぎました。今

思えば、画廊や美術館のスクリーンではなく、人の行き交う通りにおかれたテントの内側に、何

かが投影されることそれ自体について、立ち止まって考えてもよかったような気がします。
# by aphorismes | 2008-02-21 20:49

待ち時間


館内をじっくり眺めたあと、やや疲れていた私は、広間に置かれた椅子に腰を下ろしたのでし

た。


それはある日の午後のこと。大きな窓から射し込んだ陽光によってその空間全体が照らされ

ていました。


そこを初めて訪れた知人は時間を忘れているようでした。私は三度目でもあるし、また一人で

なければ集中できないたちでもあるので、座って知人を待つことにしたのです。


前方に目をやると、ある場所が虹色に染まっているのが見えました。晴れた日のある時刻に、

何かがプリズムの役目を果たし、時折、このような現象が起こるのかもしれません。そういえ

ば、以前、窓際で本を読んでいたとき、白いはずの紙の一部が、青や赤や紫色に染まってい

た、そんなことが思い出されてくるのでした。
# by aphorismes | 2008-02-20 23:33

記念写真


もうすぐ卒業して離ればなれになることでもあるのだし、ここは一つ写真を撮ろうということに

なりました。男はカメラ片手に、友人たちに話しかけながら、皆が笑った瞬間に、パシャリと

シャッターを切ったのでした。


その後、別の男が写真を撮ることに。ところが彼は皆に話しかけることもなく、よくある合図

をしてシャッターを切ったのです。


デジタル・カメラなど無い時代のこと、フィルムを現像してもらったあと、二つの写真を眺めて

みると、前者には皆の微笑が定着されている一方、後者には、いささか緊張した顔の面々が写

されていたのでした。


両方の写真に写った人物もいたのですが、しかし、その表情は同じ人間とは思えないほど異

なるものでした。写真を撮るときの一言がカメラを前にした硬い表情をほぐすということを、そ

れは例証しているようでした。


写真の中の表情を眺めていると、撮られたときの状況、そして撮る者と撮られる者との人間関

係など、直接的には写っていない事柄が、間接的な形で刻印されることがあるように思われま

す。


他方、事情を知らない者が写真を見ると、フレーム外の事象が写真に残した痕跡は、関係か

ら切り離され、被写体固有のものに還元される、そんなこともあるような気がします。
# by aphorismes | 2008-02-19 20:09

美術館を出てその男が考えたこと


次の部屋に入っていくと、そこには様々な絵が陳列されていました。輪郭が不明瞭な絵もあれ

ば、具体的なものの形が判別できる絵もあります。ざっと周囲を見回したあと、男は、椅子の

上に置かれている図録に目を止めました。


男は椅子にすわり、図録を眺めはじめました。そこには見覚えのある作品の写真が並んでいた

ため、以前の展覧会で初めてその作品を見たときの感情がまざまざと思い出されてくるので

した。


図録を眺めたあと、その男は元気よく立ち上がりました。しかし、その後、急に男はしゃがみこ

みました。周囲の人には貧血のように見えたかもしれませんが、実際はそうではありませんでし

た。急に腰が痛くなり、立ち続けることができなくなったのです。


男にとって、それは初めてのことではありませんでした。数年前、眠りから覚めてみると立ち上

がれないということがあったのです。その時は歩くのがやっとであり、二、三日の間、慎重に歩

く日々が続きました。


その後、痛みが治まるにつれ、次第に男はこのことを思い出さなくなりました。美術館で痛み

を感じるまでは。その痛みは、かつての激痛と比べれば軽いものであったのですが、屋外で

急にしゃがみこむという経験は新しいものでした。


休日の夜の美術館。そこは人も疎らであり、しゃがみこんでも、他人に迷惑をかけることにはな

りませんでした。また、広いスペースが確保されているおかげで、作品にふれることがなかった

のは幸いというべきでしょう。


しかし、信号が変わりそうな時、慌てて道路を横断している最中にこんな状態が訪れでもした

ら、面倒なことになるかもしれない。ならば、急にしゃがみこんでも困らない場所を歩くように

する、あるいは、そもそも痛みの原因を取り除いた方がいいのではないか。三度目の常設展

会場から出たあとで男が考えたのは、絵とはまったく関係のないことだったのです。
# by aphorismes | 2008-02-18 22:55

ゆうたの日記


○月○日  

たまたま河の近くを通って帰った。

河の向こうにはグランドがあった。

背の高い人たちがサッカーをしていた。

にぎやかだった。


○月○日 

時間があったので、寄り道をした。

グランドには、サッカーをする人たちがいた。

ボールが転がるのと逆方向にボールをけっていく人もいる。

ひとりでにボールが転がっているように見えるのは不思議だった。


○月○日 

グランドの近くを通った。

しばらく座ってサッカーをみていた。

一度、ボールがこっちに転がってきた。

色が薄くなって、すり切れている。

ボールをけり返した。

ねらったように転ってくれなかった。

弾力がなくなっているみたいだ。


○月○日 

グランド。

いつものように、背の高い人たちがサッカーをしていた。

練習が終わると、ボールの手入れをする人も何人かいた。


○月○日 

グランドのそばを通った。

いつもと違って、みんなは鮮やかなボールを使っていた。

盛り上がっていた。


古いボールは、グランドの隅にあった。

風に吹かれて、時々、ひとりでに転がっている。
# by aphorismes | 2008-02-16 01:18