言葉と作品


まだ20代の頃でした。街を歩いていた時、何かがきっかけで小さなギャラリーの中に入ったのです。多分、

正面に飾られた作品が気になったからだろうと思います。ある程度まで偶然の出来事であったとはいえ、そこ

で私が見たのは、底知れぬ深みを湛えた幾つかの作品でした。偶然は重なります。そのギャラリーには、作

者が来られていました。思い切って、私は尋ねました。この作品で何を言おうとしているのですか、と。私の

ありきたりな質問に対して、作者は応えてくれました。言葉では言えないから、この作品を創ったのです、と。

それを聞いた後、私は自分がした質問の底の浅さにようやく気がつきました。作品を見たことのみならず、こ

の会話を交わしたことは、私にとって鮮烈な経験となり、時折、思い出されてくるのです。ただし、それから長

い年月を経た今、私は作者に次のような質問を投げかけてみたいような気もするのです。「言葉」では言え

ないからという時の「言葉」とは、何なのでしょうか。きっと解説的な「言葉」のことではないでしょうか。作品

を上位から解説する「言葉」ではなく、もう一つの作品としての「言葉」というものもあるのではないでしょう

か。もっとも、このように考えてみたところで、私自身が昔に投げかけた質問のまずさが変わるわけではありま

せん。ただ、作品と言葉の関係は、違ったように考えられるような気もするのです。

付記

字句を若干、修正しました。
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# by aphorismes | 2009-03-16 20:39

広場


友人と待ち合わせたのは、その街で最もにぎわっている広場の近くだったと思います。その広場付近のカフェ

に行こうと私は提案したものの、もっといい場所があると友人に却下されたのでした。


その広場の周囲にはカフェやレストランが立ち並び、大抵、にぎわっていたと思います。また、美味しい料理

を出すお店がありました。そんなこともあり、私などは、肯定的な印象をもっていたのですが、その街に住む

友人は違った見方をしていたようでした。


友人は、その広場から離れたカフェに私をつれていってくれました。この一連の出来事から、私は、あの広場

が平凡な場所であると友人に言われたような気持ちになり、また、その広場の近くで食事をした時の思い出

まで滑稽なものに思えてくるのでした。
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# by aphorismes | 2009-03-13 23:35

靴が鳴る時


深夜。用事のあった私は、道路の上を歩いていました。あたりは静まりかえっています。きゅっ、きゅっ。奇妙

な音に気がつきました。下の方から、音が聞こえてきたのです。あえて靴の方向を見ることはしませんでした

が、それは確かに靴の音でした。昼間には、まず、わからないような音なのですが、静かであったため、その

小さな音が聴こえてきたようでした。その後、私の意識は、映画の方に向っていました。昔みた映画の中で、

音のする靴を履いていた人物がいたことを思い出したのです。まだまだ履けると思っていたのですが、その

映画を思い出したおかげで、靴の持つ意味が、わたしの中で微妙に変わったようでした。また、ちょいとばか

し賑やかなこの靴では、騒々しい場所以外には行けないということについても考えました。そんなこんなで、

私は新しい靴を買いに出かけることに決めたのです。靴屋さんでは、その時、私が履いていたのと同じメー

カーの、同じ種類の靴が、棚にあるのを見つけました。履き易いのはよいとしても、若干、柔らかすぎる、そう

感じたことを思い出します。しかし、他に手頃な靴が見つからないこともあり、結局は、その靴に決めました。

後日、その新しい靴を履いて階段を上がっていると、靴先が階段の角にあたって、軽くつまずきそうになりま

した。その後、私の意識は、階段をけった足の感覚や、あたった時の音のことから、他のことに向かいます。

これと同じ種類の靴を履いていた時、以前も階段で姿勢を崩したことが数回あった、そんなことが次々と思

い出され、再びその靴を買ったことが、僅かながらに、後悔されてきたのです。
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# by aphorismes | 2009-03-12 21:02

無音と静けさ

もう何年も前のことになるのですが、音のない部屋に入ったことがあります。屋外の雑音を遮断するように

なっているのはもちろんのこと、音を吸収するものがとりつけられた部屋は、規則正しい凹凸のある壁に囲ま

れておりました。それから数年を経て思い出すのですが、その無響室は、私にとって、静けさの印象をもつも

のではありませんでした。逆に、普段は意識することのない心臓音が聞こえてくるなど、その場所は、何か気

詰まりなものであったような気がするのです。私にとって静けさをもたらすのはむしろ、反響を伴った小さな

物音かもしれません。たとえば、ホールのように反響する建物の中。大勢の人がいない時、小さな物音が周

囲にこだましては消えていくことがあります。束の間に響きわたり、瞬く間に消え去っていく小さな音たち。

これが、私にとっての静けさの源であるような気がします。
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# by aphorismes | 2009-03-11 18:10

縦と横


もう長い間、見ていないのですが、家の一本の柱には、色々と落書きがしてありました。鉛筆などで線が沢山

ひかれているのです。年齢や月日等は書いていないものの、子供時代の身長の推移の一部は、この柱に記

録されているのです。しかし、縦方向に体が伸びていく時代はとっくの昔に終わりました。最近、意識している

ことは、横方向に体が拡大しているということです。もちろん、横方向の体の変化を柱に書き込むことはできま

せん。ただし、昔のベルトを体にあわせてみた時などに、変化が実感される時があります。縦の時代から横

の時代へ。柱の線によって身長の推移を知ることは、やはり嬉しいことですが、ベルトによって体の変化を知

らされるのは嬉しいことではありません。そんなことを考えているうちに、散歩に行きたくなってきました。
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# by aphorismes | 2009-03-10 22:41

な い 。


表通りを歩いていると、目指していたはずのお店が見つかりません。たしかこの辺りにあったのだけど。


もう一度、その通りを歩きましたが、やはり見つかりませんでした。しばらく通わないうちに、お店はなくなった

ようでした。やって来る客はまばらでしたし、店舗の入り口は小さかったので、お店のことを思い出せる人は、

多くはないことでしょう。


今は閉店してしまった店のイメージ、それは常連客には共有されていたはずです。しかし、表通りを歩き慣れ

た地域の大部分の人々にとって、閉店という出来事は些細な出来事にすぎず、ほとんど意識されなかったか

もしれません。


その後、別の場所を歩いていると、小さな河が変わっていることに気がつきました。白いコンクリートで埋め立

てられ、小さな河は溝になっていたのでした。変化としては大きなものと思えますが、その道を通る人にしか

意識されないような変化です。


街路に生じる変化は、ある地域に共有された記憶の変化かもしれませんが、特定の思い出を共有する人

の規模には様々な段階があるような気がします。そしてその思い出の内実は多層的で複雑なものであるの

でしょう。
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# by aphorismes | 2009-03-09 20:31

自然の落書き


散歩をしていると、春を感じさせる花が視界に入ったのですが、それにもまして、びっしりと生えた苔がじゅ

うたんのようになっているのが気になりました。時折、黒い穴があいているのは、そこを歩いた人がいたから

でしょうか。そういえば、以前、公園を散歩していたとき、奇妙な落書きを見つけたことがあります。苔の

上に文字が書かれているのですが、人の手で苔の一部が削られたその場所に、再び苔が生えているので

す。まるで苔のじゅうたんに文字が書かれているかのようでした。純粋に人為的なものでも、純粋に自然的

なものでもない、人と自然の合作による風景がそこにありました。

付記

一部、修正しました。
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# by aphorismes | 2009-03-06 18:51

並木道


木々の観察を好むようになったのは、拙い文章を書き連ねるようになってからだと思います。木の鑑賞には、

やはり五月頃が一番ではないでしょうか、とそんなことをここで書こうというわけではありません。数日前から、

葉がすべて落ち、枝と幹だけになった木を注意して見るようになりました。その発端は、数えきれない枝をも

つ樹木に気がついたことでした。本来は地下にあるはずの根っこが上になったかのように、複雑な枝が無数

にのび広がっていたのです。そして今日、並木道を歩いて気になったのは、その反対に、枝が短く、数が少

ない木の存在です。おそらく、その後だったと思いますが、別の並木道を歩いていると、その両者とも違う木

を見ました。ほとんどの枝は刈り取られており、幹だけになっているのですが、その幹が奇妙な仕方で折れ

曲がっています。ぎこちなく身をくねらせた人形が道路のあちらこちらに立っているかのように。どう見ても、

並の木には見えないなと思ったものです。
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# by aphorismes | 2009-03-05 19:32

随筆と随想


今日は、何を書こうかと考えているうちに、ずっと昔に買った随筆集を手に取りました。それがきっかけとなっ

て、しばらく随筆など読まなかったことに気がつきます。実をいうと、昔はさほど興味深いとは思わなかった本

なのですが、今、読みなおすと、以前より味わい深い気がするのは、すこし意外なことでした。ぱらぱらと

ページをめくっているうちに、桜の文字が目に入ります。そういえば、あと一ヶ月もすれば、花見の季節。ただ

し、私が思い出すのは、風に散る花びらであり、水の上に散らばった無数の花弁がゆっくり移動する光景でし

た。静止した桜の木の総体より、夥しい花弁の動態に惹かれる私なのですが、春になれば、また、桜並木の

近くを散歩してみたいと思うのでした。
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# by aphorismes | 2009-03-04 20:20

二分の一


メールによる打ち合わせもごく当たり前のものになっていますが、複数の人にメールを送るとなると、読むだ

けの人がどうしても現れます。私もその一人なのですが、最近、複数の人にメールを送ることがありました。

メールによって話を進めていくものの、返信しない人が実際に何を考えているのかが気になります。メール

によるやりとりが一方的になる場合、やはり形骸化しているかもしれないと思うことがありました。メールの議

論だけでは不十分であり、実際に会って話をすることが必要だとは既によく言われていることでしょう。会って

話してみると、返信を返さなかった人から予想外の話をきけた、そんなことを最近、経験したことから、直に

話すことの意味を再認識することになりました。とはいえ、集団ともなれば、一堂に会するには調整が必要

で、会うことそれ自体が難しいのも事実です。各人の時間の使い方があり、微妙にずれた時間の溝を埋める

ためには、やはりメールが有効だという気もします。直接的な対話とメールによる議論、いずれにしても、そ

れだけでは不十分であり、双方を組み合わせることが必要であるのでしょうか。もっとも、こうした結論は、

メールを送ったり、議論を進めたりする側の見方に近いのかもしれません。メールを読む人にしてみれば、返

信しないことも一つの返事なのかもしれないのですから。
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# by aphorismes | 2009-03-03 20:25