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リズム


たとえば仮に同じ内容の事柄を文章化しようとしてみたとしても、漢字にするか、ひらがなにするか、それと

も外来語にするかといった言語表現の選択、さらには選ばれた言葉を結合する仕方などで文章の印象が変

わるかもしれません。場合によっては、読み取られる内容も異なるのではないかと思われるわけですが、これ

に関することとして、リズムという問題が気になってくるのでした。ある言葉それ自体に宿るリズム、また、それ

が他の言葉と結合された時に現れるリズム、また、読点や句点の打ち方によって生まれるリズムという問題。

そもそも「文章」のリズムを考えるのであれば、単に一つの文における問題のみならず、特定の長さの文が

積みかさねられた結果として生み出される総体としてのリズムを考える必要があるでしょうし、そこには繰り

返しといった要素も重要になるのかもしれません。このような文章のリズムといったものは、当然、その文章

が朗読される場合と書かれた文字が黙読される場合とでは異なるのだと思います。音読した時に心地よいリ

ズムと黙読した時に心地よいリズム。後者は、文字の連なりが生み出す視覚的なリズムなのですが、それは

もはや口頭で発せられる音から独立しているのであり、音に結びついたリズムというよりも比喩的な意味にお

けるリズムであると思われます。
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by aphorismes | 2009-04-30 21:36

趣味としての散歩


散歩が好きになったのは、いつの頃からでしょうか。たとえば、スーパーマーケットまで歩く時。昔はそれが面

倒で仕方なかったのですが、今や、途中に緑の木々を眺めることが、ささやかな楽しみになりつつあります。

私の場合、必ずしも絶景などは必要なく、快晴と、ちょっとした風景を楽しめれば、趣味としての散歩が成

立するようです。それに、こんな場所があったのか、といった発見が加わればしめたものです。もっとも、以前

も書いたように、しばらくすれば、雨や曇りや暑さのために、心地よい散歩が難しくなるのかもしれません。そ

うなるまでに、外出する時は、じっくりと地面を踏みしめたいと思います。連休ともなれば、すこし遠出をして

みればどうかという気もしますが、休日の過ごし方が下手な私のことですから、どうなることでしょうか。
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by aphorismes | 2009-04-29 23:09

野鳥


早朝に散歩するときの楽しみは、まぶしい光や新鮮な空気もそうですが、やはり鳥などの鳴き声が聞こえてく

ることのような気がします。あちこちから聞こえてくるわけですが、それは遠ざかったり、近づいたりしているの

であり、鳴き声の種類も様々です。ところで、以前、早朝に散歩をしたことがあります。日の出にはまだ一時間

以上あるせいか、周囲は真っ暗なのですが、そんな暗闇の空間に、鳥の鳴き声が響いていました。夜明けと

共に鳴き始めるはずの他の鳥たちはまだ静かだったのですが、ある鳥だけが元気よく、鳴いているのでし

た。人間たちが眠っている時間に鳴く鳥の声を聞いていると、生活のリズムが崩れてしまったのだろうかと思

いました。ひょっとすると夜明け前でも鳴く夜行性の鳥というのもいるのでしょうか。
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by aphorismes | 2009-04-28 23:57

会話の力


久しぶりにあった人と話している内に、バンドをやっていた時代のことを思い出しました。もう、かなり前のこと

ですから、普段はほとんど考えることもないのです。そんな昔のことを、突然、話し始めたのは、我ながら不

思議だったのですが、その人からバンドの話を聞いたことが、一つのきっかけになったのは確かでしょう。

きっと、記憶というのは、いつも個人の中で完結するようなものではなく、時には、他人の言葉によって蘇生さ

れ、再活性化するものなのかもしれません。しかし、多くの場合、意識されるのは思い出の方であり、それに

息を吹き込んだ出来事はあまり意識されることがないような気がします。
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by aphorismes | 2009-04-27 23:34

林檎と地図をめぐって


冷蔵庫を開けると、先週末に買った林檎が残り少なくなっていました。もう、一週間がたつのか、と気づかさ

れます。考えてみれば四月もはや下旬、春の訪れを感じていたのはつい先日とばかり思っていたのですが、

年を重ねるにつれて時間の過ぎるのが早くなっていくような気がします。


やがては誰しもが抱くことになるこのありふれた感慨は、時間的なずれにかかわるものだと思います。何か

のきっかけで時間の経過に気がついて、時間は、時計と異なる仕方で感じられるということを、しかも幼少期

とは違った仕方で感じられるということなどを想うのです。


時間の差があるのであれば、やはり空間の相違もあるわけですが、それを気づかせるものはなんだろうか、

と考えました。その一つとして地図があります。飛行機の座席にすわっている時、目の前に地図を映し出し

て、現在地を知ることができます。出発地点から離れるにつれ、その地図を見ることが「空間的」な相違を、

さらには「時間的」な相違を感じるきっかけとなるような気がします。


ただし、地図をいつ眺めるかによって感じ方はずいぶん違うような気がします。目的地に近づいてから眺め

ると、もうこんなに移動したのかと感じることもありますが、出発して間もない頃だと、まだまだ先は長いと感

じるのです。時間的、空間的な移動というのは、「事後的」に意識する場合と移動の「渦中」に意識する場合と

では、かなり違うのではないでしょうか。
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by aphorismes | 2009-04-24 22:35

空間と時間


数年前に古い土壁のある道を通った時、小学生の頃も土の壁を眺めてその道を歩いたことを思い出しまし

た。その土壁は、昔の記憶を引き出してくれたのです。そこは、大通りではなく、とても細い道なので、そん

な記憶を持つとしても、それは地域住民に限られるのかもしれません。しかし、これが大都市にある駅であ

れば、付近に住む人のみならず、遠い場所から久しぶりにやってきた人々が、各人の記憶をよみがえらせる

可能性はあります。空間が過去を思い出す手がかりとなる。では、情報の空間はどうなのでしょう。興味を持

つ人であれば、遠隔地でも閲覧できるわけですが、そこには現実の建築物はなく、文字による「記録」が、ま

た写真や動画などが並んでいるのです。
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by aphorismes | 2009-04-23 21:24

4月の風景


4月上旬のある休日、私は、散歩へと出かけました。洗濯を済ませた後だったので、あと数時間もすれば夕

暮れが訪れます。見に行きたい場所は二カ所あったのですが、これでは途中で暗くなってしまうかもしれな

い。しかし、一週間後では遅すぎる。そんなことを考えながら、私はとりあえず出発したのでした。


とあるバス停で下車した私は、表通りから折れて、すこし奥にある別の道に向かいました。最初、この道を見

つけた時は、よく知っている表通りからすこし歩いたところに、こんな静かな並木道があるのかと驚いたもの

でした。さて、そこに並んでいた木々は、予想通り、淡い色で染まっていました。歩いていた私は、ヘッドフォン

を外しました。あちこちで、鳥のさえずりが聞こえてきます。訪問者は私だけではありませんでした。


そこを後にした私は、別の場所に向かいました。どのくらい歩いたでしょうか。私は、川岸に並ぶ木々が淡く染

まっている場所に着きました。その場所で、咲き誇る花を見ながら、私は、昔、自分の書いた文章を想い出し

ていました。風に吹かれた花びらが水面に舞い降りて、あるものは、何かに支えられて固定され、あるものは

水の流れとともに静かに移動していく。動きつつある点描画のような水面の風景。細部はもはや忘れてしま

いましたが、そんな昔の拙い文章を想い出しながら、私は、水面を眺め、周囲を歩きました。夕暮れ前にそ

こに到着できたのは望外の幸いでした。しかし、よくよく考えてみると、想像していたイメージの方が美し

かったのであり、その場所では、とくに感動するということはなかったのです。膨らんだ期待は淡い幻滅に変わ

りました。


それから数週間後。道を歩いていると、空き地のあちこちに白詰草が叢生しているのに気がつきました。そ

の直後、他の場所を通った時も、白詰草がいたるところで風に揺られているのを目にしました。毎日、通る道

なのに今まで気がつかなかったのは不思議でした。それにしても、咲き誇る花を見に行って予想通りの風景

を見た時よりも、風に吹かれた白詰草を見た時の方が私には印象に残りました。花の咲く頃を心待ちにして

いた私は、日常のなかで生じる発見の瞬間を、再発見することになったのです。
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by aphorismes | 2009-04-22 22:19