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昔、憧れの場所に旅行しようと、ガイドブックを買ったことがありました。それなりに名前が知られている地方

の都市です。地図を見ながら、ここに行こうか、あそこに行こうか、と夢想していたものですが、結局、その旅

は実現しませんでした。もっと準備が必要と考えたのか、あるいは憧れをそのままにしておきたかったのか。

それとも、単に忙しくなったのか。今となっては、理由はわかりません。しかし、先日、たまたまガイドブックが

見つかって、私は、行かなかった旅のことを思い出したのです。あの時、旅行に行っていれば、私はどんな町

を見たのだろうか、何を経験したのだろうか。実現した旅は思い出を残し、実現しなかった旅は問いを残し

ます。
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by aphorismes | 2009-03-27 21:05

散策の頃


去年だったか、散歩の道を紹介している本を買って、いろんなところを歩いてみようと試みました。その本で

は沢山のコースが紹介されていたのですが、私が歩いてみたのは二つぐらいでしょうか。もっとも、私は、

ずっと地図を見て歩くより、大体の位置や方角を念頭に置きながら、紹介されたコースの近くを歩くのが好

きでした。それでも、こんなところがあったのか、と小さな驚きや発見がありました。しかし、その後は、忙しく

なったり、季節が変わって暑くなったりと、散歩どころではなくなってしまったのでした。しかし、そろそろ、散

歩が心地よい季節になりました。うかうかしていると、梅雨が始まってしまうかもしれません。また、梅雨が明

けて数週間もすると強い日差しが照りつけるような気がします。考えてみれば、四月や五月というのは散歩

にとって大事な時期なのかもしれません。
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by aphorismes | 2009-03-26 22:52

会話について


物事には、それを生み出す力や目的、さらには形式や素材があるのだとしたら、会話の場合はどうなのだろ

うと考えたことがあります。会話の目的や、形式、主題などについては、何となく想像ができないでもないの

ですが、会話を生み出すものは何かと考えたとき、私の思考は停止してしまったのでした。ところで、以前、

若い人と話していた時に、私自身も、何かを話したくてたまらなかった時期があったことを思い出し、話しを

促す何かについて考えたことがあります。ただし、話すことを促すものと会話を生み出すものは違います。あ

る語りが他の語りを喚起する。これはどのようにして可能になるのでしょうか。
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by aphorismes | 2009-03-25 20:48

サイフォンとコーヒーミル


ある喫茶店にサイフォンが飾ってありました。値段を見ると、思っていたほど高価ではありませんでした。それ

から、自宅にいる時などに、そのサイフォンが思い出されることが何度かありました。サイフォンを買えば、手

入れの時間が必要になるけれど、それもまた愉しいかもしれない。しかし、よくよく考えてみると、三人前の

サイフォンで入れたコーヒーを、一人で飲みきれるものではありません。もっと小さなサイフォンを入手できた

としても、それで一人分のコーヒーをいれるのはやはり難しいような気がして、結局、サイフォンは私には無

理だということがわかったのです。サイフォンの夢はこうして消え去りました。その後、再び、その喫茶店に行

くと、サイフォンの近くにコーヒーミルが置かれていることに気がつきました。その後、自宅にいる時などに、あ

のコーヒーミルを使ってコーヒーを飲めば美味しいかもしれないと考えることが何度かありました。しかし、伝

統的なスタイルのコーヒーミルと新式のものとではどちらがいいのだろうか、ということが気になって、今のと

ころ、買うには至っていないのです。しかし、よくよく考えてみると私は伝統的なスタイルのコーヒーミルを

持っていました。ただし、長く使っていなかったので、手入れをする必要がありました。その後、数年ぶりにそ

のコーヒーミルを使ってみました。コーヒーの味もさることながら、ガリガリという音の後に漂うコーヒー豆の香

りに魅了されたのでした。
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by aphorismes | 2009-03-24 22:16

小旅行


さほど遠くではないけれど、かといって近くともいえないような場所にいく必要があり、ネットで調べ始めたの

ですが、まだよくわからないといった感じです。運良く、昔のガイドブックが見つかったものの、すでに10年は

経っているので、新しいものに買い替えた方がよさそうでした。きっと旅行雑誌をよく買うような人であれば、

すぐに調べられるのかもしれない、と残念な気持ちになりもしました。昔のこと、旅行代理店にいけば資料を

くれると年上の知人からアドヴァイスされたことがありましたが、その時は、自分で調べて旅のプランをたてる

方がいいと感じたものでした。しかし、時間の問題もあります。また、遠い場所への大旅行ならともかく、小

旅行の場合は、準備作業の段階から旅情をたっぷり味わえるというわけでもないような気がします。小旅行

には、どんなコツがあるのか、旅慣れた方に聞いて見たいような気がします。
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by aphorismes | 2009-03-23 23:13

緩やかなる傾斜


昔のことですが、車での移動中、窓から、緩やかな斜面が見えたことがあります。山ほど木が生い茂っている

わけではないのですが、大部分は緑の草で覆われており、近くに小屋のようなものがある、そんな印象の場

所でした。周囲にほとんど建物のないその場所は、不便という他ないはずなのですが、なんとなく、こんなと

ころで住んでみたいと思ったのでした。つい先日も、坂道を上っている途中、緑色をした斜面が見えたので、

ぼんやりと、その近くで暮らしている自分の姿や不便な生活のことなどが勝手に想像されてきました。風景の

中には、そこに行ってみたいという、旅情を喚起させる風景のみならず、そこに住んでみたいと感じさせるよう

なものがあります。人によって、それらは一致するかもしれず、まったく違うものになるのかもしれません。い

ずれにせよ、私の場合は、緑の傾斜面に憧れを感じるのですが、何故そうなのか明確にはわかりません。自

然の近くで暮らしたいという人に、住んでみたい場所のイメージを聞いたとしても、人によって様々な違いが

あるような気がします。映画や小説はそんな場所のイメージにどの程度、影響を与えるのでしょうか。あるい

は、住んでみたい場所のイメージというのはそれらとは違う何かによって形成されるのでしょうか。
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by aphorismes | 2009-03-20 23:19

いにしえの現代人


とても古い写真をみたことがあります。もちろん色は白黒でした。そのとても古い写真のなかで、硬い表情を

した人が写っていたことを覚えています。その時は、遠い昔の人々なのだ、と隔たりのようなものを感じまし

た。他方、写真には、生き生きした表情の人も写っていました。まだ写真それ自体が珍しく、撮影する機会も

頻繁にはなかった時代と思われるのですが、どうしてこんな自然な表情なのだろうと私は不思議でなりませ

んでした。その人の顔立ちが現代的であったせいか、あるいは生き生きとした表情のせいなのか、私はその

方が遠い昔の人であるという気がまったくしませんでした。むしろ、逆に、その人が今でも生きているようなリ

アリティを感じ、また、遠い昔の人であることが納得できないような、そんな気持ちになるのでした。
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by aphorismes | 2009-03-19 22:07

電話


長電話が好きな人とそうではない人。人によって電話に関する好みは違うのかもしれません。しかし、人に

よって違うと言っても、電話での話し方は固定的なものではないように思います。相手によって、状況によっ

て、雑談中心になったり、用件中心になったりと、電話での話し方は変わるような気がします。ここまでは、電

話をかける側の視点を中心に書いたつもりなのですが、実際の電話を考えるには、電話に出る人の視点を

考えるべきでしょう。そうして、一致やすれ違いが生じるのだと思います。たとえば、誰かに電話をかけて用

件だけを伝えて電話を切った場合、あとになって他に話すことがあったのではないか、と考えることがありま

す。一方は、用件で頭がいっぱいになっているのですが、相手が求めているのは用件を伝えてもらうことでは

なく、もっと深みのある会話であるのかもしれません。あるいはそれは、電話をかけた側の想像にすぎない

のかもしれません。いずれにしても、電話を切ったあとに訪れる静かな瞬間に、そんなすれ違いのことを考え

ることがあります。
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by aphorismes | 2009-03-18 19:57

料理の形式

しばらく前のことですが、比較的安価なバイキング形式の和食レストランに行ってみました。色々なものを食

べられるのなら、と店に入ってみたのですが、結局のところ、お皿にいろんなものを盛りすぎて、何を食べて

いるのかはっきりしなくったことがあります。いっそのこと、料理が限定されている方がいいのでは、と思ったこ

とがありました。実際に食べにいく機会はあまりないのですが、コース料理の場合、一定の順序があって、運

ばれてくる料理が決まっています。ある文章の特定の単語を入れ替えれば別の文章になるように、スープを

かえたり、メインディッシュをかえたりすると、別のコース料理になることはいうまでもありません。さて、コース

料理の場合、それぞれの皿は、時間をずらして供されるわけですが、お弁当の場合は、当初から、すべての

品が弁当箱の上に盛られており、コース料理と同様、供される品は定まっているのです。バイキングの場合、

お弁当と同様に、すべての品が会場に置かれているのですが、どの料理を食べるかは、客の選択次第で変

化します。こういうわけで、コース料理やバイキング、弁当箱といったものは、それぞれ違う形式ではないかと

思うのです。ただ、バイキング形式にしたところで、時間をずらして、新しい料理の大皿が出されることもあり

ますし、会場に置かれている多くの品を味見してみる人にとっては、料理の品がほぼ定っているようなもので

あり、そうした意味では、こうした区別は実際には成り立たないのかもしれません。
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by aphorismes | 2009-03-17 23:35

言葉と作品


まだ20代の頃でした。街を歩いていた時、何かがきっかけで小さなギャラリーの中に入ったのです。多分、

正面に飾られた作品が気になったからだろうと思います。ある程度まで偶然の出来事であったとはいえ、そこ

で私が見たのは、底知れぬ深みを湛えた幾つかの作品でした。偶然は重なります。そのギャラリーには、作

者が来られていました。思い切って、私は尋ねました。この作品で何を言おうとしているのですか、と。私の

ありきたりな質問に対して、作者は応えてくれました。言葉では言えないから、この作品を創ったのです、と。

それを聞いた後、私は自分がした質問の底の浅さにようやく気がつきました。作品を見たことのみならず、こ

の会話を交わしたことは、私にとって鮮烈な経験となり、時折、思い出されてくるのです。ただし、それから長

い年月を経た今、私は作者に次のような質問を投げかけてみたいような気もするのです。「言葉」では言え

ないからという時の「言葉」とは、何なのでしょうか。きっと解説的な「言葉」のことではないでしょうか。作品

を上位から解説する「言葉」ではなく、もう一つの作品としての「言葉」というものもあるのではないでしょう

か。もっとも、このように考えてみたところで、私自身が昔に投げかけた質問のまずさが変わるわけではありま

せん。ただ、作品と言葉の関係は、違ったように考えられるような気もするのです。

付記

字句を若干、修正しました。
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by aphorismes | 2009-03-16 20:39