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写真と日記


小学生か中学生の頃だったと思うのですが、詩や小説の解説などに接したとき、感動という言葉に違和感を

抱いたことを覚えています。きっと当時は、感動という言葉を実感しながら作品を鑑賞できなかったからで

しょう。作品を創作する契機となる感動といったものがあるとして、それが理解できたかどうかについては今

も心もとないのですが、小さな感動のようなものがきっかけで、日記が書けるということは、時折、あるような

気がします。


こんなことを考えているうちに、日記のかわりに写真を撮ってネット上に公開する人のことを思い出しました。

ファインダーでどこを狙うか、複数の写真からどれを選ぶか。写真からどこを切り取って使うのか。どれも選

択の連続ですが、文章の推敲においても、意味は違うとはいえ、やはり選択が伴うような気がします。


しかし、ここで注目したいのは、別のことです。一日に一枚、印象的な場面を写真で撮ることと、一日に一

回、印象的なことについて書くこと。そうした違いは、一日の思い出や意味をどのように変えるのだろうか、

と。


問題は思い出すことに限定されないことでしょう。写真になりそうな場所にいってみる、あるいは日記に書ける

ことを探しにいく、さらには特定のことに敏感になるなどと、その日の経験それ自体も変わるような気がする

のです。
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by aphorismes | 2009-02-27 19:13

電話帳


チャイムの音がなりました。ドアを開けても誰もいません。外には、とても分厚い電話帳が置かれていまし

た。男はその電話帳を手に取って部屋に戻っていきました。コーヒーを飲みながら、男はページをめくってみ

ました。そこには膨大な電話番号が記されており、様々な仕方で分類がなされていました。男は「歴史」と書

かれたページに気がつきます。そこには著名な人物の電話番号がありました。電話をすると、肉声が電話で

聞けることになっていました。同じ人の電話でも、違う数字を押すことで別の話題を選べるようになっていま

す。ははぁ、新手の商売か、と男は考えます。しかしながら他方では、あの人もいる、この人もいる、と好奇心

をかき立てられたのも事実です。しばらく男はページをめくっていたのですが、「未来」と書かれたページを

見つけました。そのページには、医師の電話番号もならんでいます。将来に直面する病気をさけるため、生

活改善などのアドヴァイスがきけるのでした。「未来」のページには下位区分がありました。そこには10年ご

とに番号が記載されています。試しに男は、自分の電話番号を探してみました。10年後、20年後と探して

いったのですが、最後まで目を通すこともなく、男は途中でその電話帳を閉じました。
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by aphorismes | 2009-02-26 23:09

久しぶりの喫茶店


ドアを開けた人たちがこちらの方に戻ってきました。もしやと思いつつ、一応、私もドアを開けると、かなり待っ

てもらうことになりますが、というマスターの声。ひさしぶりに訪れた喫茶店はほぼ満員。久しぶりに来た私は、

待つのを承知で空席に座りました。マスターは大忙しといった様子。私自身がメニューを見て迷ったために、

注文だけでかなりの時間が過ぎましたが、何を頼むか考えている時間は不思議と気になりませんでした。し

かし、注文したコーヒーがやってくるまでにはやはり時間を感じました。時折、新たな客が訪れます。満員で

あるために、帰っていく人もいれば、奥に座った人もいました。私は運ばれて来たコーヒーを飲みました。昔、

よく来た喫茶店だったのですが、こんな味のコーヒーがあったのかと驚きました。その間も、断続的に新しい

客が訪れました。私は、さっとコーヒーを飲み干して、その店を後にしました。
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by aphorismes | 2009-02-25 21:10

風景

その昔、駅まで自転車で通っていた頃のことです。ある地点から緩やかな下り坂になり、遠くまで見晴らせる

場所がありました。自転車でその地点にさしかかると、それまでとは違った仕方で風景が見えたものです。左

右に広がる道路の線は中央の一点へと収斂しています。風景は、もはや平面的なものではなく、奥行きを

もって見えました。ただし、漠然と風景を眺めている時は、奥行きは感じられませんでした。道路が描きだす

線を意識的に眺めた場合に奥行きが感じられたような気がします。さて、最近、その道をバスで通る機会が

ありました。どのような風景が見えるだろうかと期待しながら。遠くには昔はなかった建築物がありました。そ

して、消失点は、ぼやけて見えたような気がします。風景も、私の視力も、変わっていました。

付記

余分な文章を削除しました。
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by aphorismes | 2009-02-24 21:51

知っている街/知らない街


ひさしぶりにあの街に戻りました。昔、眺めた建物の前を通りかかると、長いあいだ忘れていたことが思い出

されることがありました。しかし、追憶に浸っている時間はありません。まだ用事はすんでおらず、滞在の終わ

りが近づいていたからです。そこで、いつもとは違う近道からあの店にいってみようと考えました。商店街を歩

いていくと賑やかな通りを見つけました。漬け物、お菓子、お惣菜などのお店がずらりと並んでいます。扱わ

れている物がそれぞれ魅力的なのですが、週末に訪れた人々の賑わいが、祭りのような活気を生み出して

いました。こんな場所があったのか、と今更ながら驚きます。懐かしい街を歩いていると、何かの建物を見て

思い出が喚起されることもあれば、新しい発見をすることもあります。それらは別の対象にかかわるのです

が、相互的な干渉が生じることもあるのかもしれません。この街はよく知っているという思い込み、さらには

過去を懐かしく思う深さ。それらが、知らないものを見つけた時の驚きの強さを生み出すこともあるのでしょ

うか。

付記

一部、加筆しました。
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by aphorismes | 2009-02-22 19:24

本は語る


インターネットで取り寄せた小包を開けると、一冊の本が入っていました。紙は変色しているのですが、意外

に丈夫で、読む分には問題はないといった風でした。後ろの方を見ると、古書店の名前を記した小さな紙が

貼付けてありました。といっても、それ自体は珍しいわけではありませんが、この本の場合、紙は一枚ではな

かったのです。古本屋に売られ、買われ、また売られ、と長い旅をしてきた本なのでしょう。それを見ている

と、様々な国のハンコの押されたパスポートを見ているような気がしてきます。「これまで、いろんな古本屋を

まわってきたんじゃよ」。小さな紙たちとともに、いにしえの本は、そう語っているようでした。
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by aphorismes | 2009-02-20 17:54

雨とガラスと風景と

静かで暖かな建物の中。一通り用事を済ませた男は、外に出ようとしました。自動ドアが開きます。見上げる

と、目前には、ガラスが広がっていました。その建物は、自動ドアの向こうに、小さなガラスの空間がしつらえ

てあり、さらに自動ドアを通らなければ外には出られないようになっていました。目前のガラスはうっすら白く

なっており、あちらこちらに夥しい水滴が付着しています。快晴の日であれば、人の意識は、ガラスではなく、

外に広がる風景に向けられていたことでしょう。しかし、その日のガラスは、風景へと人を誘うことはありませ

んでした。そこには、沢山の水滴が付着しており、上方からは、つるつると、つるつると、絶え間なく水滴が流

れ落ちていくのです。背景には曇り空が広がっていたこともあり、ガラスは、目立たない存在であることをや

め、水滴とともに、自らを露出させていたようでした。その後、男は、別の場所に移動します。そこで、男は、

別のガラスを見ました。水滴が付着するという程度を超えて、ガラスはべっとりと濡れていました。ガラスを

通して風景が見えます。空から降る雨のしずくは、ガラスの上で、かすかに縦方向の透明な模様を描き出し

ており、そこからは、歪んだ風景が見えました。このガラスを通して、人の意識は風景へと向います。しかし、

それが歪んだ風景であることによって、同時に、雨に濡れたガラスのことも意識されていくのでした。
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by aphorismes | 2009-02-19 18:06

異世界への通路


扉をあけて中に入りました。お店の中にはすでにお客さんがいます。先客の人たちが品物を選ぶのを待ち、

レジに並ぶのを横目に見ながら私も品物を選びました。その時、小さな絵が見えたのです。淡い色の絵で、

外国の建物が描かれていました。私は、目の前に並んでいる品物のことなど忘れ、その絵に見入ってしまい

ました。それは単に雰囲気作りのために飾られた絵にすぎなかったのかもしれません。しかし、細やかな線

と塗り重ねられた淡い色が作りだす繊細な世界に私は引き付けられました。小さな絵を通して、お店は、遠

い場所に繋がっているようでした。絵には、手書きで何かが記されています。しかし、知らない場所のよう

でした。そのまま絵を眺めていることもできず、私は、後ろ髪を引かれる思いで扉を開けました。その後も

なお、あの淡い色彩の世界が気になるのです。
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by aphorismes | 2009-02-18 18:17

どこにもない場所


あの曲がりくねった道の側には木々が生い茂っていました。私は、その道を通るのが嫌いでは

ありませんでした。陽光に照らされた新緑の輝き、紅く染まる木の葉の色合い、幹と枝だけに

なった冬の灰色。雨に濡れた蜘蛛の巣の上で光る水滴。その道を通るたび、季節や天候に応

じた発見があったのですが、最近はそこを通る機会がめっきりと減りました。書きたいと思うこと

が見つからなくなったのです。たびたび訪れて踏み荒らしてしまった庭のように、私は、想像力

を喚起する、一つの空間をうしなったのでした。新しい切り口を見つけないかぎり、その道に

触発されて何かを書くことはないでしょう。私は時間を遡ります。そして、かつて行ったことのあ

る場所のことを考えます。そこは実在する空間なのですが、記憶のなかではやや理想化され

ていて、存在しない場所でもあります。あるいは、ただの抽象的な言葉や枠組みのことを考え

ます。そのどこにもないものたちが、束の間の休息と、何かを書くきっかけを与えてくれます。
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by aphorismes | 2009-02-17 22:57

日記とブログまで


最初に日記帳をもらったのは小学生の低学年の頃。覚えているのは、数年後にそれを読み返

した印象です。書き出しにはパターンがあり、起床や食事など、朝の日課が記されていると

いった具合。いつもの書き出しから始まった後、そのまま日記が終わる日もあったように思いま

す。それから、それから、と細かいことを書けばきりがないのですが、ワープロ機を使えるよう

になったことは新鮮でした。自分の書いた文章が活字になるのは、当時の私にとっては驚くべ

きことだったのです。しかし、ブログが登場する頃には、そうした活字効果も当然になっていま

した。ブログを始めた頃に新鮮だったのは、人と人とのやりとりでした。遠方に住む人のブログ

があり、あちらが書けば、こちらも応えるといったやりとりで文章が生まれていく。ただ書きたい

という理由から、時折、書いている人がおり、贈り物を交換するかのように日記や意見が交換

され、そして何かの弾みで盛り上がり、新しい文章が紡ぎ出される。個人が私的な日記を書く

というよりも、書き手やブログや文字やネットの総体が、複数の文章を生み出していたのか

もしれません。最近は、頻繁にブログを読むことはなくなりましたが、ブログの世界を盛り上げ

て、その多様性を広げていく、どんな仕組みがあるのかということが気になります。この2009

年、どのようなブログが書かれるのでしょうか。もっと新しく、興味深い何かが登場しているの

でしょうか。
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by aphorismes | 2009-02-16 23:06