<   2009年 01月 ( 22 )   > この月の画像一覧

郷土料理


いわゆる郷土料理の店には、誰が食べにくるのでしょうか。もちろん、地元でポピュラーな名物

料理もあるでしょう。ただ、それなりの郷土料理店の場合、地元の人がやってくるのは特別の

機会に限られ、訪れる客の多くは観光客ではないだろうかと想像してしまいます。ただし、郷

土料理店がその郷土にあるのか、遠隔地にあるのか、という問題は忘れるべきではないでしょ

う。後者の場合、旅行をせずとも、遠く離れた場所の郷土料理を手軽に楽しむことができま

す。その郷土料理の店に、同じ郷土の出身者がやってくることもあるでしょう。そのような時、

昔は、特に意識しなかった郷土料理が、懐かしく思われるかもしれません。海外で日本の料

理が食べたくなる、そんなことと似た現象であるのでしょうか。しかし、遠隔地で自分の生ま

れた「国」の料理を好きになることと、遠隔地で「郷土」の料理を好きになることの間の落差に

ついてはよく意識しておきたいような気がするのです。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-30 21:47

夢の椅子


軽い背中の圧迫感も今となつては和らいで、腰痛もすこしは楽になつたと考へていたその矢

先、座しているだけで疲れを感じるようになつたのは、背中をまげてわずかに下を向いたのが

きつかけでした。こんな姿勢はよくないのだと、よく指摘されるあの姿勢、これまで全くその影

響を感じる機会はなかつたのですが、この年になつて、姿勢の悪影響がすぐ体感できるやう

になつたのは、むしろ一つの勉強の機会だつたのかもしれないと思う反面、ただ座つている

だけで疲れてしまうのは困つたものだと、そんなことを考えながら、横になり、目をさまし、腰

痛に効く椅子はないものかなどと夢想してしまうのでした。

付記

タイトルを修正しました。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-29 22:03

声と映像


物語が明確な映画。これに対し、物語の流れを断ち切るかのように、断片的なイメージが連

続している前衛的な映画があります。このような対比によって隠されるのは、物語的映画が、

実は多様だということではないでしょうか。


後者の場合でも、出来事間の原因と結果が明確なものに対して、そうではない映画があるよ

うに思えます。物語の展開が極めて緩やかであり、観客が様々な想像を巡らせる余地があるよ

うな映画もあるはずです。


ここで、映画の中で語られる言葉について考えてみます。映像の中で語られるのは、物語的な

世界を生きる登場人物たち、それぞれの声であるのかもしれません。そうした言葉の累積が、

映像のなかの行為や出来事の間接的な説明となり、観客は映像を読み解きます。


しかし、ある種の映画では、物語的世界をいきる登場人物の語りの他、物語の語り手の声が

挿入されます。語り手の声は、当然、各登場人物の声を超えるものとして位置づけられていま

す。


しかし、語り手の声がもつ超越的な性格は、ジャンルによって異なります。ハードボイルド風映

画における主人公の声。これは、他の登場人物たちの声に対して特権化された、しかし、「主

観的な」語りとなります。


例えば、工場の中を撮った映像があるとします。途中で挿入される労働者の語りに対して全

体を説明する語りはやはり特権的な位置にありますが、この場合の語り手の声は、「客観的な」

ものとして位置づけられます。


そのような「客観的な」語り手も一様ではありません。語り手が映像の外にいて不可視的な存

在である場合もあれば、具体的な語り手として映像に内在しつつ、それでも「客観的な」説明

として位置づけられている場合もあるように思われます。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-28 23:02


朝というのは

すがすがしい

朝になると

陽光があらわれる

小鳥はさえずる


朝というのは

すがすがしい

身の引き締まるような冷気

息がすこし白くなる


朝というのは

すがすがしい

瞼の重い

徹夜明けの朝だとしても
[PR]
by aphorismes | 2009-01-27 09:08

体を温めることについて


お風呂に入って体を温めたあと、家の外にでかけました。入浴後で体がぽかぽかしていたこと

もあって、凄く寒いわけではなかったのですが、やはり、つま先は冷たくなってきました。途中、

気がつけば、私は走り出していました。走ることで体を温めようとしていたのでしょうか。あまり

大した距離ではないのですが、走っているうちに、心臓がどきどきしてきました。すきま風が入

り込む体の表面部分はやはり冷たさが感じられるのですが、体の深部では、暖炉にまきをくべ

たように、暖かさが感じられてきました。寒い空気を吸い込みながら、外発的に体を温めるこ

と、内発的に体を温めることの違いについて、私は考え始めていました。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-25 23:40

理解できないことを理解する


その本棚の上には、ハーブの辞典が並んでいました。ハーブの効用に関する好奇心。その時

かかえていた症状にきくハーブは何かという興味。そんなことを考えながら、その分厚い本を

手に取りました。ハーブティーのコーナーにいくと、時折、種類ごとの効用が書かれているのを

思い出したというわけです。さて、沢山の名前の中から辛うじて私の知っているハーブのペー

ジを開けると、そこには説明がびっしり書かれていたのです。目を通してみると、微に入り細を

うがつように、様々な効用や色々な副作用が書かれていました。効用だけをとってみても、とて

も詳しく書かれているために、何が主要な効用、及び副作用であるのか、何が周辺的な効果

であるのかといったことが、理解できませんでした。わかったことといえば、それが一般向けの

本ではないということ。一般的なハーブの知識はすでに修得している人が、例外的な効用や

細かな副作用について調べる本なのだろうか、とそんなことを想像しました。翻って考えてみ

ると、理解しやすい一言に要約されたハーブの効用といったものは、どのように考えるべきな

のだろうかということが気になるのでした。要約の過程で何が失われるのか。ハーブの効用を

調べようとした私は、効用についての日常的な見方について考えるようになっていました。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-23 21:59

クールなバスタイム


遠くの街で買っていた入浴剤を、あるお店でたまたま見つけ、思わず大きめの商品を購入しま

した。それには試供品がついていました。お湯に溶かすと、ラヴェンダーの香りが漂いました。

大きな商品を買った客へのサービスであり、別の商品を買ってもらうための仕掛けだろうと思

いました。後日、もう一つの試供品を使うことにしたのです。袋には「ミント」という文字が書か

れていました。一袋分を手に取って、腹部と胸部にのせながら溶かし始めると、立ち上った湯

気のおかげで、爽快なミントの香りが鼻を突き抜けていきました。こんな爽やかな香りなら、次

は、これを買おうと即座に私は思いました。しかし、本当のミント効果は、その後に現れてきた

のです。入浴剤を溶かすための台にしていた私の皮膚は、次第に冷たく感じられてきたので

す。熱いお湯のなかで水風呂のような冷たさを感じるのは、なんとも不思議な体験でした。ミ

ントの威力を思い知らされる一方、寒さという身体感覚の不確かさを感じたのでした。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-22 23:14

逡巡の果てに


知人によばれ、ライブハウスで音楽を聴いた後、演奏していた方のCDを買おうと考えました。

しかし、二つの作品のうちどれを選べば良いのかわかりませんでした。


二枚のCDを眺めながら、昔の記憶がよみがえります。ファースト・アルバムはじっくり時間をか

けて作るけれども、セカンドアルバムの場合はそうではない場合が多い。昔、そんなことを聞い

たことがあったのです。


しかし、他方では、昔の作品を賞賛されても新しいものを創造する励みにはならない、そんな

内容の文章をどこかで読んだことを思い出しました。


結局のところ、私が購入したのは、新しい方のCDでした。その結果、私は、好みに合致する音

楽を聴くことができました。探しても、すぐには見つからないような音楽でした。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-21 22:11

夜の音


ああでもない

こうでもない



考えながら

私は歩いていたのです。

ああでもない

こうでもない




横断歩道に差しかかるころ

車が通り過ぎていきました。


目の前を

 左から

       右から

逆方向に

走り去る

二台の車


暗い夜空に

響きわたる

アスファルトを

踏みしめる



遠ざかる


消える音

暗い夜空に
[PR]
by aphorismes | 2009-01-20 22:40

山の風景


かなり前に購入したカレンダー。毎月のように自然の写真が楽しめるようになっていました。印

象に残っているのは、厳しい表情をした山の写真。人間を超越した存在への畏怖を感じさせ

るような、壮大な風景でした。もちろん、現場の臨場感とは比較にならないことでしょう。この

ような写真の場合、人里離れた所に足しげく通い、絶えず変化する雲や光や雪を眺めなが

ら、シャッターを押す必要があるのかもしれません。そうした経験は常に感動的なものではな

いはずで、納得する写真を撮るまでには大変な苦労があるのでしょうし、危険を感じる時もあ

るのかもしれません。他方、写真を見る者は、家にいながら、人間の尺度を超えた壮大な風

景の一瞬を、極度に縮小された形で目にすることができます。そして一ヶ月が経過すれば、カ

レンダーはめくられていく。自然の写真を見るのが好きな人、自然の写真を撮っている人。両

者は深い谷間によって隔てられているのかもしれません。しかし、今、自然の写真を撮ってい

る人は、その昔、自然の写真を見るのが好きな人であったのか、もともとそうした環境で育っ

た人であったのか、聞いてみたいような気もします。
[PR]
by aphorismes | 2009-01-18 17:21