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朝の小道

先日の朝、いつもの道を歩いていると、植込みからコオロギの鳴き声が聞えてきました。夜、

その道を通る時はもっと大きな鳴き声が響きわたっているのですが、その朝も、声量が控えめ

とはいえ、基本的には同じような鳴き声でした。


その日の天気は、曇り。それもかなり薄暗い日でした。ひょっとして、夜と朝の切り替えをしない

まま鳴き続けているのだろうか、そんなことまで考えてしまいました。



今朝、出かけた時は一応、晴れていたと思います。いつものように植込みのところに差し掛かり

ます。その時は、コオロギの鳴き声には気がつきませんでした。そのかわり、植込み近くの地面

に雀の群れがいたのが見えました。鳥たちは、私に気がついてさっと飛び去り、遠くに移動して

しまいました。


その後、湾曲した細い小道を通りました。小道の脇にある木から、またしても、小鳥たちが一斉

に飛び立ち、他の場所へと飛び去っていきました。遠くからは気がつかなかったのですが、雀

の群れが休憩していたのでした。


小鳥たちは臨機応変に居場所を変えます。その反応の素早さと敏捷さ。流れるような動き。

そして、鳥たちが群れをなした時に浮かび上がるフォーメーション。その輪郭は瞬時に形を変え

ます。変化しつづけるその複雑な形が遠ざかる様子に、しばし見とれてしまったのでした。
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by aphorismes | 2007-08-31 21:56

読書競争の頃

小学生の時、クラスで読書競争をすることになりました。多分、4年生の頃だったでしょうか。ノ

ートに読んだ本のタイトルを書き、クラスで本を読んだ数を競争するのです。ノートを紛失してし

まったため、正確な数字はわからないのですが、一年間で300冊台になったような記憶があり

ます。薄い本を沢山読んでいたのでしょう。


この数字が正しいのかどうかはわかりませんが、沢山、本を読んだのは確かです。それはきっ

と読書競争という仕掛けのおかげなのでしょう。ただし、皆が本に夢中になるわけではなく、それ

は一つのきっかけだったのだと思います。小学校の4年生の子供が、なぜ本を読み続けたのだ

ろうと、今思えば不思議な気がしないでもありません。


あまりに本が面白くて、やめられなくなったのでしょうか。確かに、夢中になるような本との出会

いもありました。しかし、それだけではなく、きっと本に向かわざるをえないような背景もあったの

だろうと思っています。


小学校時代、引っ込み思案で無口だったのを覚えています。家族と話すのにも緊張していた時

期もありましたから。ある意味では、本と出会ったことによって当時の私は救われたのかもしれ

ません。他方、長期的に見れば、本に向かうことが、本に向かわざるを得ない状態を強化してい

たという側面もあるのでしょう。


もっとも、こうしたことは、遠い昔の、個人的な体験にすぎません。また、あれから、地域や家族

のあり方にしても、メディア環境にしても、また、子供たちの生活それ自体、かなり変わったので

はないかと思います。遠い昔のことを顧みるうちに、現代の子供たちは、それぞれ、どんな子供

時代を送っているのだろうかということが気になってきたのでした。
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by aphorismes | 2007-08-30 22:57

錆びる月、満ちる月


先日の夕刻、皆既月食を見に外に出ました。


7時頃だったと思いますが、結構、外は明るかったような気がします。しかし、建物に遮られてい

るのか、どこにも月は見当たりません。なぜか『月はどっちに出ている』という映画のタイトルを

思い出しました。


逆の方角には夕焼けが広がっています。空気はとても透き通っていました。そして、色の多様

なこと。淡い紅色に染まった雲。その両側には薄っすらとした栗色の雲。そして上空には次第に

色の濃くなっていく青色の空。月は見つからなくとも、透明感のある色彩で描かれた夕焼けは見

応えがありました。


その後、一時間以上が経過して再び外へ。階段の窓から、錆び付いた金属のような色をした物

体が見えました。とても不気味で薄暗い月でした。「月食」という言葉より、書き換えられる前の

「月蝕」の方が、あの雰囲気にふさわしいような気がしました。


しかし、皆既月食の科学的な説明を知った者にとって、それはもはや凶兆などではなく、また、

神秘的なまなざしの対象でもないことでしょう。


もっとよく見えないかと思ってあちこち場所を探してみました。すると、知人も月を見に来ていた

ようで、彼らの近くにいくと月がよく見えました。しばし歓談しつつ、月の風趣を楽しみました。薄

暗かった月は、ゆっくりと満ちてゆきます。その場を離れる頃には、徐々に月の縁は明るくなり、

三日月型に近づいていました。


数時間後、帰宅のために再び外に出ました。夜空を見上げると、すでに月は満ちていました。

満月がひんやりとした輝きを放射していました。
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by aphorismes | 2007-08-29 23:09

夏の雪


あ、また日本に来ているのだな。


いつもの喫茶店で、海外から来た若者を見かけるようになったのは、しばらく前のことでした。夏

休みを利用してこちらに来ているのでしょう。


以前、留学生として滞在していた彼は日本語が得意です。何回か話したことがあるのですが、

もうかなり昔のことになります。そんなこともあって、挨拶はしたものの、お互い話をすること

はありませんでした。


ある日、彼のテーブルの上にCDが置かれていることに気がつきました。買ったばかりの新しい

アルバムです。そのアーチストなら、私も、デビュー当時のアルバムを持っていました。それを

きっかけに日本語での会話が始まりました。音楽という共通の文化のおかげで二人とも饒舌に

なりました。


数日後、再び彼を見かけました。近くの席に座りましたが、互いに無口のままです。話しかけて

も迷惑にならないだろうか。前と同じことを話すわけにもいかないし、どんな話題がいいのだろう

か、と私は思案しました。彼の方もそうだったのかもしれません。


数分が経過。あいかわらず彼は手持ち無沙汰の様子でした。せっかく来たのだから、退屈する

よりは楽しんでいってほしい。私が協力できるとは限らないけれど、今は話し相手がいないよう

なので、思い切って話しかけてみよう。


「どこかにいった?」


彼は、最近訪れた島の話をしてくれました。発音が聞き取れなかっただけかもしれませんが、私

の知らない名前でした。ともあれ、その質問がきっかけになって話が始まりました。あっという間

に時がたち、「また」といって私は席をたちました。そうはいったものの、彼の滞在予定を私は知

らないことに気がつきました。


「いつまでいるの?」


「木曜日まで。」


出発日は目前に迫っています。よくある事といえばそれまでですが、話ができるようになる頃に

は別れが待っているのです。


喫茶店から出て歩き始めると、どこからともなく、白い粒が落ちてきました。この夏の青空のもと

で雪が降るわけはありません。一体、何が起こったのかと驚きました。


あたりを見回すと、近くの木の枝に無数の白い花が咲いていました。風に吹かれて、粒のような

白い花が散っているのでした。
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by aphorismes | 2007-08-28 23:30

残像


夜。


カタカタカタカタ……。

ぼんっ、ぼんっ、ぼんっ。


パソコンに向かっていると、大きな音が響き始めました。

しばらく、そのまま作業を続けたのですが、何だろうと思って見に行くと、やはり花火が打ち上げ

られていたのでした。赤橙の光が円を描き、流れるようにして夜空に消えていきます。


音が聞えるだけの時もありました。会場は山の向こうらしく、低く打ち上げられた花火は山に隠

れてしまうのでした。しかし、それでもかなりの数の花火を見ることができました。


花火の色は、赤橙だけではありません。赤、黄、薄緑など鮮やかでした。花火の描き出す模様

も、円だけではなく、瞬時に星が散乱するといった複雑な形のものがありました。花火が打ちあ

げられるリズムも緩急の変化に富んでいました。色や形、打上げのリズムなどで工夫が

凝らされ、時間も暑さも忘れてしまいそうです。


そのうち、海の対岸でも花火らしき光が見えることに気がつきました。遥か遠方のため小さかっ

たのですが、海を囲んだ花火の競演といったところでしょうか。


近くの方で大きな音の花火が打ち上げられました。ぼんっ、というその音に数秒遅れて、逆の方

向から同じ音がしています。山に反響しているようです。


赤橙の見事な花火が立て続けに打ち上げられました。

光は大きな円を描き、また、時に光の円は重なりながら、夜空に消えていきました。


それが最後の花火でした。


夜空はいつもの暗闇に戻りました。

さっきまで花火が打ち上げられていた空の右手の方には、薄っすらとした白い煙が広がってい

ます。生暖かくて湿った海からの風が吹いていました。

部屋に戻って目を閉じると、花火の残像が見えたような気がしました。


「花火やむあとは露けき夜也けり」(高浜虚子選『子規句集』岩波文庫、1993年)
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by aphorismes | 2007-08-27 22:53

シャンプーについての疑問



昔から、シャンプーには苦労してきました。


一般的には洗髪を怠けているとフケがでるというイメージがあるような気がします。私の場合、フ

ケ・かゆみをとめると書かれたシャンプーを使った後、フケがでてくることがありました。


フケはストレスとも関係があるような気がしますし、単にすすぎが足りなかったのかもしれませ

ん。しかし、結局、そのシャンプーを利用することはなく、散髪屋さんで紹介してもらったもの

や、お店でたまたま見つけたものなど、一般にはあまり知られていないシャンプーを使ってきま

した。


旅行に行く時など、使い慣れたものを持参していったこともありました。現地で買えるシャンプー

が自分にあうとは限らないからです。


しかし、問題の生じないものが見つかって愛用していたとしても、しばらくすれば何かの事情で

買えなくなったり、そのシャンプーの性質が変わってしまったりということがありました。


今は、薬局で扱われているシャンプーを使っています。石鹸シャンプーの方が良いという意見も

あるようですが、現在は、検討中といったところです。皆さんは、髪を洗うとき、何を使われてい

るのでしょうか?
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by aphorismes | 2007-08-26 23:52

「自然」の音、自然の音


小川のせせらぎ。鳥たちのさえずり。


ふすまを開けて父の部屋に入っていくと、CDラジカセから「自然」の音が流れていることがある

のです。大抵の場合、父は机の上の書類に向かっていて、集中的に聴いているわけではな

いようです。


小川の音や鳥の鳴き声のほかに、環境音楽も録音されていたかもしれません。アイディアは悪

くないと思うのですが、私としては、もっといいCDがあれば良いのにと、惜しい気がしました。


このようなCDはいつ頃から作られるようになったのでしょう。そうした企画のレコードもあったの

でしょうか。そんな疑問が生まれました。しかし、少なくとも、自然の音を録音したレコードの出

現を期待した人は、すでに大正時代にはいたようです。


こんなことを考えているうちに、映画の一場面を思い出しました(かなり昔に見た映画なので正

確ではないと思います)。たしか、スペイン映画だったかもしれません。


夜が明けた頃。田舎風の家が映像に映し出される。

遠方からは犬が吠える声。

そこに鳥の鳴き声が加わる。


これは登場人物たちが会話を交わしたり、思いがけない出来事が起こったりするような場面で

はありません。朝の到来を示すだけであり、物語の進行と密接に関係する重要な場面ではなか

ったはずです。


しかし、このような早朝のイメージの断片は私の心をひきつけて止まないものがあります。何故

なのかは分かりません。映画全体の力だったのか、それとも音の魅力だったのか。


いずれにしても、渓谷に響きわたっているはずの小川のせせらぎと比較すると、犬や鳥の鳴き

声が響くのが人里である点は異なるように思われます。


徹夜明けの日、風景を眺めていると、遠くで犬の鳴き声が聞えてきたことがあります。そして鳥

の羽ばたく音なども。私は、しばらくそれに聴き入っていました。早朝の人里に響きわたる動物

の鳴き声が好きになったのは、映画を見た後のことだったのだろうと思っています。


付記

重要な指摘などしていただいているかもしれません。知人と電話で話したりしていますので時間

がないとは言えませんが、書けるものを書くのに精一杯の状態で、ご意見を取り入れる余裕が

なくなっております。
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by aphorismes | 2007-08-25 22:18

階段

今朝、階段を上がっていると、頭上から光が射し込んでいました。

見あげると、窓から四角に切り取られた青い空が見えます。そして眩い光。


この体験をきっかけにして階段に関連するイメージについて考えてみました。今回は、建築物

の外にある階段を含めて考えたいと思います。


水平移動の舞台となる廊下とは違い、上下を結ぶ通路となる階段には、当然、上/下にかかわ

る象徴的な意味、あるいは序列的なイメージが関わるように思われます(なお踊り場の存在は、

上/下のいずれでもない場所との関わりを示すのだと思います)。


階段を上がりきったところに宗教施設がある、このことは上/下に関わる序列的な意味に対応

しているように思われます。そうした場合、水平的な関係を超越する性質を、視覚的に示すこと

ができるはずです。あるいは、逆に、階段や立地条件は、そうした性質を生み出す仕掛けなの

かもしれません。


もっとも、屋外の階段の上にある建築物は世俗化された建築物、たとえば展望台や公園のよう

なところかもしれません。また、土地が少ないために山上の土地を利用せざるを得ない場合、

つまり現実的な事情から山上に家屋が建築され、その結果として階段の上に家屋が位置して

いるということもあるでしょう。


おそらく、目的地となる、階段上の建築物の性質に応じて、階段を上がること、階段を下りること

の意味も変わるのではないでしょうか(また、階段を移動する人の年齢などによって、階段は日

常生活の妨げとなるかもしれません)。


また、階段を上がるには、体力を使います。そうしたことから喚起される意味や感情が、当然、

あります。長く続く階段を前にした時に感じるためらい。その感情は、遠い先まで見通せる直進

階段であれば増幅されることでしょう。長い階段であればあるほど、上がるのは辛く、踊り場で

は気が休まり、そして上がりきった後の達成感は強まるかもしれません。


私の住む町では山の上まで家屋が立ち並び、長い階段が続いている地区があります。山の頂

上からは、素晴らしい眺望が得られます。左右に折れ曲がる階段を下りてゆくと、町並みは少し

ずつ表情を変えていき、無限の変化を見せます。屋外に設けられた階段が、一つの町の多様

な見晴らしを堪能させることもあるのです。
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by aphorismes | 2007-08-24 22:45

生活者について


以前、現代のカフェについて書いたことがありました。響きは似ていても内実は異なるのです

が、昭和初期は「カフェー」の黄金時代といわれていました。そこで流れていた音楽はジャズ。

そして1935年頃からは、喫茶店が増加します(初田亨『カフェーと喫茶店』INAX出版、1993

年)。


もっとも、昭和初期は、世界恐慌が日本に影響を及ぼした時期でもありました。1930年には世

界恐慌が波及、1934年には東北で凶作が生じます。農村が疲弊する一方で、都市の街頭は

華やかであったようです。


ところが、1937年に日中戦争が勃発。同年、国民精神総動員運動が開始されます。そして

1938年には、服装の質素化、物資節約、廃物利用などが提唱されています(「家庭報国三綱

領」)。戦争が長期化するにつれ、私生活は国家のなかに組み込まれます(南博+社会心理研

究所『昭和文化』勁草書房、1987年)。


このような状況のなか、「生活者」という言葉に注目した人がいたことを、ある本から学びました

(天野正子『「生活者」とはだれか』中公新書、1996年)。かなり単純化していますが、「生活

者」とは、国に規定された生活から距離をとろうと試み、そして新しい生活の形を作り出そうと

する人々のことを指すのだと思います。


以前、クールビズという言葉が流行った時期がありました。目的は理解できるのですが、そうし

た言葉が「流行」してしまうことに驚いたのも確かです。ところが、その後、年金問題が噴出。

現在では、「生活者」という言葉は、使い古されてしまい、どこか曖昧な言葉になっているように

思われます。まったく状況は異なるのですが、戦前に用いられた「生活者」という言葉が何故か

気になっています。
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by aphorismes | 2007-08-24 01:00

図書館の魅力


言葉を入力して検索すると本のリストが現れる。本全体を閲覧できる場合もあれば、一冊につき

数ページの場合もある――先日のことですが、前から気になっていたグーグルのブック検索を

使ってみました。


入手しにくい本が見つかればありがたい、そう思って、あるテーマで検索しました。すると、膨大

な本のリストが表示されました。他方、参考文献リストの本を検索したところ、期待した成果はあ

りませんでした。


検索語を変えると違った結果になったかもしれません。また、今後、登録される書物自体も増大

するはずです。私自身が長期間つかっていないこともありますし、短所や長所などについて語

るのは時期尚早かもしれません。


現代では、新刊書であれ、古書であれ、ネットを通じて本を注文することが普通になりました。さ

らに、本とは異なりますが、ネット上には書かれたものが沢山あります。そんな時代にあって、

図書館の魅力は何なのだろうという疑問を抱きました(以下は、一部分ですが、わたしの個人的

意見です)。


第一は、蔵書。いい本が揃っている図書館は魅力的です。たとえば、入手しにくい本や雑誌の

バックナンバーが揃っている、さらに特定のテーマに関する良書が新刊書以外も含めて揃って

いるなど。また、ネット上では利用できないもの、しかも個人で買うことが難しい、10巻や20巻

からなる大辞典や百科事典を閲覧できるのは有難い限りです。また、CDやDVDなどの音楽や

映像資料の魅力などは申すまでもありません。


第二に、図書館には、建築物としての魅力があると思います。個人的には丸天井の図書館に憧

れます。また、ある図書館では、大きなガラスを通して池が眺められるようになっていました。重

要ではないと思われるかもしれませんが、それが落ち着いた雰囲気を作り出すのに役立ってお

り、魅力になっていると思われたのです。


第三に、調べ物や勉強をするための条件が整っていることは重要だと思います。図書館は、本

を閲覧するだけではなく、作業する場所として利用できます(もっとも、時期や時間帯によっては

椅子や机が不足することもありますから、座席数の余裕が重要になります)。また昔のことです

が、図書館でノートパソコンを使う場合、机ごとにコンセントがあると便利だと感じたことがありま

す(もっとも、最近ではバッテリーの性能が高まり、さほど気にならない方もいらっしゃるかもし

れません)。


第四は、文化活動についてです。図書館は、記録されたものである本を整理し、保管するだけ

のところなのでしょうか。それだけではないような気がします。ある市立図書館では、朗読会(手

話による同時通訳つき)や講演会、映画の上映会などの活動を行っていました。また、市民が

会合を開けるような空間が図書館にあることは重要だと思われます。


ネットで様々な情報に接することが可能になった現在でも、現実の図書館の建物や内部の空

間が醸し出す魅力はなくなっていないと感じています。また、保管・整理された書物を閲覧し借

りることが出来るだけではなく、人がそこで作業をし、グループで議論をする、その際の条件が

整っているという点も重要で魅力ではないか、そんな気がしております。


付記

こちらに来てからおよそ13時間が経過しましたので(休憩時間も含みます)、本日はこれで帰

宅させていただきます。
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by aphorismes | 2007-08-23 00:11