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紅葉の京都/京都の効用

忙中閑あり。

さて、時折、拝見させていただいている京都写真様のサイトに紅葉の写真がアップされていま

した。有名な場所だと大勢の人が押しよせているはずですが、穴場が選ばれているせいか、

風景の切り取り方が上手いのか、人の姿が写真にほとんど映されてはいません。色鮮やかな

写真をみていると、静謐という言葉が想起されます。

京都写真(Kyoto Photo)
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by aphorismes | 2006-11-23 15:35

お知らせ

ドラマ「家族」について書いてからというもの、この拙いブログを訪れてくれる方が急増し、驚

嘆するとともに感謝しております。ところが、個人的な事情により、しばらく更新することができ

ない可能性があります。ドラマ「家族」が金曜夜に放送されることもあって、いつも週末に文章

を書いていました*。しかし、先週末は出張の関係で「家族」を見ることができず(もちろん、録

画はしていますがまだ見ていません)、次の週末も書けるかどうかわかりません。検索ワードラ

ンキングなどを見ますと多くの方がドラマ「家族」に強い関心をお持ちのようです。新たな投稿

文なしに訪れていただくのも心苦しく、現状報告をさせていただいた次第です。

ではお元気で。

*第4回分の文章も同様です。ただし、最初に書いた文章は、気に入らなかったため数日間放

置。若干、修正してから投稿したので、時期がずれました。
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by aphorismes | 2006-11-20 23:13

『教育改革の幻想』

「今までの改革は、その実効性を評価することもなく、目新しさを追いかけすぎたのではな

かったのだろうか。税金によってまかなわれ、多くの人々に影響を与える公教育という社会事

業であるからこそ、実現性の乏しい理想に流されることなく、今、できていることを基礎に、少し

でもよりよくするための具体的な手だてと資源を提供する。幻想から逃れた教育改革の発想

とは、こうした当たり前の考えを出発点におくものである。

現実との対話を欠いた理想は、実現のための手段を見失うがために、容易にイデオロギー

へと転化する。イデオロギーとして、その視点から現実の教育を批判しえても、それを改善す

る手だてを具体的に示すことはできない。これでは教育の理想は、空虚なたてまえとして、現

実との乖離を押し広げるだけである。」 苅谷剛彦『教育改革の幻想』ちくま書房、2002年。


付記:

先程、テレビ・ニュースを見た後、久しぶりに手に取ったのが本書。

2002年の書物であり、「ゆとり教育」や「新しい学力観」が扱われています。

現在とは文脈が異なるのですが、引用した部分が印象に残りました(11/16)。

引用部分を追加しました。それにしても、苅谷氏の問題提起は、その後、どれくらい活かされ

ているのでしょう(11/17)。


付記(2007年4月22日)

 この土日は仕事をしていました。以下は、その合間に書いた雑感です。
 
ご存知のように、高校生全国学力テストの結果が話題になっています。ゆとり教育と学力低下

を結びつける見方を見直すべきではないか、と考える人もいるかもしれません。しかし、数値

の「解釈」については、議論が分かれるのではないでしょうか。また、これは長期的な傾向と言

えるのでしょうか。そもそも学力とは何なのでしょうか。様々な問いが浮かんできますが、少な

くとも、上記の書物が、新たな文脈で読まれることは確かでしょう。時間が必要と思われます

が、新しい章を増補した書物が出版されることを期待します。また、同じ問題を対象とした異

なる著者の書物も読みたいと思います(しかし、長期的な分析がなされる前に、改革などによ

り前提条件が変更される可能性も考えられますが)。


付記(2007年4月24日)

22日付の「付記」ではあえて言及しませんでしたが、苅谷氏は、4月14日の毎日新聞で高校

生全国学力テストについて言及されています。書き出しは、次の一文です。「今回対象となっ

た高校3年生は、新学習指導要領の実施世代であると同時に、学力低下批判から学力重視

を打ち出した「確かな学力」路線が始まった世代でもある」。 

 なお、苅谷氏は、「webちくま」において、「この国の教育にいま、起きていること」を連載されて

おられます。
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by aphorismes | 2006-11-16 23:13 | [資料集] 社会société

家族芝居の日ーードラマ「家族」 第四回 [11月10日(金)放送分]


[あらすじ]
http://www.tv-asahi.co.jp/kazoku/story/04.html

[登場人物]
http://www.tv-asahi.co.jp/kazoku/cast/index.html


[芝居と秘密] 

心臓の手術のために上京してきた父・克治(夏八木勲)が、ある日、上川家に突然あらわれま

す。ここから、別居や失業のことは秘密にして「幸せな一家」を演ずる「芝居」が上川家で始まり

ます。場合にもよりますが、父・克治が家を出発するまでのあいだ、会話に関して、真/偽とい

う評価基準はやや後景に退き、心配させないという目的が前景化するかのようです。

 印象操作や「芝居」の舞台になる上川家では、父・克治は観客のような位置におかれます

(子供を通して情報がわずかに漏洩することもあり、彼はギクシャクした不自然さを感じ取って

もいます)。では、観客である父・克治の方に芝居や秘密はないのでしょうか。彼は、一方で、

理美(石田ゆり子)の仕事に執拗に反対し、強い父を演じています。他方、彼は、手術の同意

書の署名を亮平(竹野内豊)に依頼する際、手術が成功しても心臓は長くは持たないといわ

れたと打ち明けます。してみれば、父の克治は強い存在ではもはやなく、しかも、妻や娘を心

配させないために健康上の秘密を持っているわけです。つまり、父・克治と上川家の双方が芝

居と秘密に関わっているのですが、亮平は、両者の秘密に参画できるという意味で、特権的な

立場におかれています。


[演じる/眺める、撮る/眺める]

第四話では、「幸せな一家」を演じる者/それを眺める者という関係が前景化しています。し

かし、写真を撮る/写真を眺めるという関係もみられます。芝居の観客にすぎない父・克治

は、自分の撮った写真を亮平や悠斗に見せており、彼はまた、亮平、理美、悠斗の写真を撮っ

ています。三人の家族が微笑んでいる写真は彼が抱いている理想の家族像を具現化したも

ののようにも思われます。


[二人の男]

打ち合わせのため、理美は仕事に出かけます。その後、亮平は夕食を作ろうとするのですが、

父・克治がもってきた鮭をさばくことができません。そんな時、佐伯晋一郎(渡哲也)がやってき

て、手伝うことになります。そして、夕食の場面。理美の父・克治と佐伯が食事をともにします。

実は、ここでは三人の「父」が並んでいます(悠斗の父である亮平、その「擬似的な父」である

佐伯、理美の父である克治)。特に克治は、男がだらしなくなっているから、女がつけあがるん

だと断じます。佐伯は、その言葉に応えませんが、家事の上手い佐伯は、おそらく、その発言

に同意していないでしょう。二人は以下の点でも対称的です。第一に、結婚した女性の社会

参加を否定する父・克治の言葉は亮平から反対されます(「芝居」のなかで吐露された本音の

抗議は、皮肉なことに、理美から「お芝居」とみなされます)。他方、佐伯の発語は、亮平の行

為に影響を及ぼします。「扉は叩き続けないと開けてもらえませんからね」と佐伯は述べ、自分

の体験を語りながら、父に語りかけることをすすめます。彼はまた、今日はいいチャンスですよ

と理美との和解をも提案します(この言葉に媒介されて、亮平は、後に二つの提案を実行しま

す)。第二に、佐伯が妻に先立たれたばかりであるのに対して、克治はこれから妻に先立って

逝くことを予期しているという違いもあります。

このように、正反対に見える二人の「父」ですが、実は両者ともが、亮平との不和と和解を経験

しています。そもそも、佐伯が上川家にやってきたのは、喧嘩の和解のためでした。他方、父・

克治の方は6年の間、亮平との関係が良好ではなかったのですが、深夜、彼が寝ていた部屋

を訪れた亮平に健康上の秘密を打ち明け、娘をよろしく頼みますと告げます。


[写真の宛先/受取人]

父・克治の出発とともに上川一家の「芝居」は終わります。理美は、職場で携帯電話の待ち受

け画面に向かっており、家族ではなく子供の悠斗だけが映った写真を眺めています。他方、最

後の場面では、父・克治から(おそらくは家族全員に)送られてきた写真を、一人きりの亮平が

じっと眺めています。亮平の眼から眺められた写真がアップになり、それを見ている彼の顔が

映り、最後に、次第に遠ざかるカメラによって、亮平を取り囲む薄暗い居間の空間が拡大され

ていきます。一人でいる亮平と家族の写真との落差が強調されてドラマは幕を閉じます。
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by aphorismes | 2006-11-16 19:57

扉について

扉は、開かれるか、閉じられるかのいずれかでなければならない。
Il faut qu’une porte soit ouverte ou fermée.

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by aphorismes | 2006-11-11 17:33 | [箴言] Aphorismes

“Piano Piece #13 (for Nam June Piak)”

Sonic Youth (George Maciunas)“Piano Piece #13 (for Nam June Piak)

(楽器としてのピアノに愛着をもたれている人はご覧にならない方が無難です)


ピアノの鍵盤に釘を打ち付ける若者たち。ハンマーで釘を打つ単調な音、鍵盤が叩かれるた

ために偶然になり響く不協和音。この映像では、楽器を破壊する過程それ自体が作品化され

ており、音楽の解体を暗示する音楽のようでもあります。フルクサスのマチューナスとソニッ

ク・ユースの忘れがたい共作ですが、構築に対する解体という枠組みが前提とされている点が

限界のようにも思われます。


2007年(3月27日)
某動画共有サイトへのリンクを解除しました.
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by aphorismes | 2006-11-06 20:44 | 音楽

家族をめぐる問題:過渡と迷走

1980年代において落合恵美子は、家族の崩壊をめぐる議論が近代家族の変化にすぎない

と喝破しました。「『家族崩壊』の予感は、未知への旅立ちの常として確かに恐ろしいが、崩壊

するのはたかだか二百年かその半分以下の歴史しかない<近代家族>というひとつの家族

類型にすぎない」(落合、1989)。当時、このような見方は新鮮に思えたものです。彼女はま

た、近代家族の崩壊はむしろ、それからの解放であると仄めかしました。「いまや桎梏と化した

<近代家族>の崩壊ののち、『<近代家族>からの解放』を謳歌するのは、われわれ自身で

あるのかもしれない」(同上)。不安に彩られた家族の言説に希望が吹き込まれたかのようで

した。

落合論文が『現代思想』に掲載されてから約20年。

2005年に出版された書物で山田昌弘は、落合流の見解とはあえて異なる見方を提示してい

ます*。現代では、家族の迷走期が始まっているのだと。


「もちろん、落合恵美子が何度も強調するように、『家族は姿を変えて存続する。現在は、過渡

期にある』との主張も有力である……。しかし私は、それほど楽観的になれない。ウルリッヒ・

ベックは、『個人化が進行し、家族という概念枠組みで社会や人間関係を把握することは難し

くなる』と述べる。私も、現時点では、ベックと同じく、家族の迷走期が始まっていると判断す

る。迷走とは、従来の家族モデルにすがる人、新しい家族モデルを試す人、そして選択した家

族モデルの実現ができる人、できない人、そして家族自体をもちたくてももてない人が混在

する状況である。」(山田、2005、225頁。)


過渡期か迷走期か。大問題ゆえ、ここではあえて私見を述べません。時間をかけて考えてみ

たいと思っています。

*落合恵美子による、別の論文へのコメントです。

【参考文献】
上野千鶴子、1994年、『近代家族の成立と終焉』岩波書店

落合恵美子、1989年、「<近代家族>誕生と終焉─歴史社会学の眼─」『近代家族とフェミ

ニズム』 勁草書房(初出は『現代思想』第13巻第6号 1985年6月)。

─────、1996年、「近代家族をめぐる言説」井上俊他編『<家族>の社会学』岩波書店

山田昌弘、2005年、『迷走する家族』有斐閣

注:パーソンズ、マードック、アリエスらの文献は省略

付記(2007年4月29日)

参考文献リストに落合恵美子氏による論文がございますが、出版社名など欠けていた情報が

ございましたので、加筆いたしました。なお、雑誌に掲載された際の初出情報も記しておりま

すが、私が参照したのは勁草書房から出版された書物の「初出一覧」です。
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by aphorismes | 2006-11-06 17:48 | [資料集] 社会société

復讐心と親切気ーードラマ「家族」 第三回 [11月3日(金)放送分]

[あらすじ]

冒頭で竹野内豊演じる主人公は、妻が離婚と親権を希望していると弁護士から告げられま

す。あなたには子育てはできないという妻の言葉への反発から、主人公は幼稚園のバザー委

員長を引き受けてしまい、奮闘する様子がドラマの前半で描かれます。バザーは成功裡に終

わり、居酒屋で打ち上げがなされるのですが、子育てのため出張や残業をしない主人公は会

社では顰蹙をかっており、見積りミスのためついに解雇を言い渡されます。その後、主人公は

かつて自分がリストラをした人物がいる会社に雇われるのですが、全く無意味な仕事をさせら

れたあげく、主人公は解雇されてしまいます。それが手の込んだ仕返しであったことに気づい

た主人公は、人気のない夜のオフィスで、自分をだました男に殴りかかろうとするのですが、

すんでのところで思いとどまります。その後、屋台で泥酔したあげく、帰宅。するとそこには渡哲

也の演じる佐伯が子供を寝かしつけて待っています。短期間に二度の解雇を経験し泥酔した

主人公は、リストラの仕返しをされたこと、子育てをあきらめて妻にまかせることを彼に告げま

す。しかし、佐伯は自暴自棄になっている彼を殴りつけます。


[二人の男]

ドラマの後半における主人公の経験は、自分に仕事を頼んだ人物に殴りかかろうとした後、自

分が子供の世話を頼んだ人物によって殴られるという反転からなっています。しかし、より重

要なのは、主人公によってリストラされた二人の男性の対比的な描かれ方でしょう。一方で

は、最初から解雇するつもりで雇用し、無意味な仕事をさせる男がおり、他方には、仕事で遅く

なる主人公の子供を家に送り届ける男がいます。リストラに復讐する男/善意で応える男とい

う対比には、主人公に殴られそうになる/主人公に殴りかかるという別の対比が対応していま

す。これらの対比が効力を発揮するのは最後の場面。佐伯に殴られて酔いから醒めた後、主

人公はテーブルにおかれている夕食を見つけます。かつて主人公によってリストラされた経験

があるにもかかわらず、佐伯は復讐することはなく、常日頃、彼の子育てに協力しており、この

日は料理までつくって待っていた。つまり最後の場面では、復讐する男との極端な対比におい

て佐伯の人柄が照射される仕掛けになっているのです。泣き崩れる主人公の顔を映してドラ

マの幕は閉じられます。

もっとも、復讐心/親切気という対比が曖昧になる場面もあります。子育てを諦めようとしてい

る主人公を殴った後、自宅にもどった佐伯は自分の手を無言で眺めます。幼稚園で接す

る子供のためとはいえ、なぜ殴ってしまったのだろう、と言わんばかりに。この場面は短くセリフ

がないため、様々な解釈が可能でしょう。子供のために口論になり、暴力をふるったつもりだっ

たけれども、リストラの話を持ち出されたことで、普段は意識していなかった怒りが現れてし

まったのかもしれない。こう自問自答しているように私には思われたのでした。


『クレイマー・クレイマー』は父と子の関係を中心に描き出していました。ドラマ『家族』のなか

で、血のつながった父子関係が描かれるのはもちろんですが、バザーに出すぞうきんを縫う場

面やけんかをする場面など、主人公と佐伯の、複雑で擬似的な父子関係が生き生きと描きだ

されています。物語の大きな枠組みは実際の家族関係をめぐって展開されるわけですが、そ

うした物語のはざまに散りばめられた、擬似的な父子関係にかかわる小さなエピソードが、

数々の印象的な場面をつくり出しているように思われます。
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by aphorismes | 2006-11-04 12:35 | [資料集] 社会société

ペシミズム/オプティミズム


ペシミズムとオプティミズムと呼ばれる、ありきたりで通俗的な精神状態。私の魂は、これら二

つの感情を総合し、それらを乗り越える。私は、知性によってペシミストであるが、意志に

よってオプティミストである。(グラムシ『獄中ノート』)

Ces états d’esprit communs et vulgaires qu’on appelle pessimisme et

optimisme.Mon état d’âme fait la synthèse de ces deux sentiments et les

dépasse:je suis pessimiste par l’intelligence, mais optimiste par la volonté.

(Antonio Gramsci, Lettres de prison)


付記
よく引用される、有名な一文です。その前をよむと、おなじみの弁証法的発想が前提とされて

いたのでした。むしろ、彼の境遇等を考えた時に重みの増す言葉のような気がします。

(なお、翻訳は、一般的な訳とはやや異なります)

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by aphorismes | 2006-11-03 17:34 | [箴言] Aphorismes

ウェブ・サイト と いじめ対策

前回紹介した『群発自殺』が出版された90年代後半と現在。比較すると変わった点があるは

ず。例えば今では、「いじめ」という言葉で検索すると多くのウェブ・サイトが見つかるようになり

ました。他人に相談するのは決意が必要ですが、サイトであれば容易に見られる。また、たとえ

専門書を購入しなくても、その気になればウェブ・サイトから情報が得られる。これらの点は

『群発自殺』が執筆された時代とは状況が変化しているように思われます(ある言葉を打ち込

んで検索するとサイトが見つかる、というのは現代の常識ですが、当事者が「いじめ」という

言葉で検索するとは限りません。その意味では、メディアの報道でいじめ対策窓口などが紹介

されるのは依然として意義があると思います)。

いじめ撲滅ネットワーク

いじめの定義、(「いじめの記録をのこしましょう」などといった)被害者へのアドヴァイス、保護

者へのアドヴァイス、いじめをなくすために必要なこと(スクール・カウンセラー等)、海外におけ

るいじめ対策、日本におけるいじめ対策の成功事例、掲示板、参考文献リストなど。



付記(2007年3月30日)
ここでは言及していませんが,ウェブサイトの悪影響というのもありますね.
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by aphorismes | 2006-11-03 12:36 | [資料集] 社会société