<   2005年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

過剰反応

熱湯でやけどをした猫は冷水を怖がる。
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Chat échaudé craint l’eau froide.
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by aphorismes | 2005-11-29 20:17 | [諺]Proverbes/dictons

船上のカフェ

停泊した船は何も稼がない。(カタロニア地方の諺)
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Bateau arrêté ne gagne rien.(proverbe catalan)

ノート:仏蘭西語のgagnerには「稼ぐ」の他に「辿り着く」という意味もあるため、上記の文章は「停泊した船は何処にも辿りつかない」と訳すこともできます。ここで、「稼ぐ」というgagnerの訳語を採用したのは船上のカフェの写真と対比させ、もとの諺にはない、ある種の効果を生み出すためです(なお、本来は、カタロニア語に遡って意味を確かめるべきところですが、ここでは原語至上主義を採用しませんでした)。
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by aphorismes | 2005-11-28 22:48 | [諺]Proverbes/dictons

凪 Le calme

海が静かな時は、どの船にも良い船長がいる。(スカンディナヴィアの諺)
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Quand la mer est tranquille, chaque bateau a un bon capitaine. (Proverbe scandinave)
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by aphorismes | 2005-11-28 22:42 | [諺]Proverbes/dictons

眠る猫 Chat qui dort.

猫がいないとき、二十日鼠はダンスする。
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Quand le chat n’est pas là, les souris dansent.
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by aphorismes | 2005-11-23 20:48 | [諺]Proverbes/dictons

袋の中

袋からは、中にあるものしか取り出せない。 (フランス、ブルターニュ地方の諺)
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D’un sac on ne peut tirer que ce qu’il y a dedans. ( Proverbe breton)
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by aphorismes | 2005-11-22 23:09 | [諺]Proverbes/dictons

猫 Chat

眠っている猫を起こしてはならない。
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Il ne faut pas réveiller le chat qui dort.
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by aphorismes | 2005-11-21 18:09 | [諺]Proverbes/dictons

冬が、

冬が、春、夏、秋を食べてしまう。
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L’hiver mange le printemps , l’été, l’automne.
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by aphorismes | 2005-11-17 20:42 | [諺]Proverbes/dictons

書かれざる証言

被爆者の方の証言を、聴衆の一人として聴いたことがあります。

ただ座っていただけなのですが、戦争体験のない私にとって、目前で語られる証言を聴くこと

は、緊張感に満ちた経験でした。


証言は、文字や活字によって記録されます。活字化することによって、多くの読者が証言を読

むことが可能になります。それは戦争の記憶の継承に寄与することでしょう。


以前、被爆者の方による、手書きの文章に目を通したことがあります。

膨大な資料のなかに、名前は書かれているものの、空白のままの用紙が時折ありました。

長い年月が経過した後に書かれたからでしょうか。しかし、なぜ空白になっているのか、正確な

理由はわかりませんでした。


わたしには、言葉にできない体験だったことを間接的に伝えているような気がしました。

空白が、積極的な沈黙であるかのように思えたのです。そして、その空白ないし沈黙の背後に

どのような体験があるのだろうかと思ったのです。


これらの証言の他、映像化された証言というものも考えられます。


最近、フランスの新聞、Le Mondeのウェブサイトで長崎の被爆者の特集がなされていたのが

印象に残りました(Le Mondeのウェブサイト右端でNagasakiの文字をお探しください.

「entrer」の次に「→」を、そして人物の写真をクリックしてください)。長崎の被爆者の証言を記

録した映像が、ウェブ上で、字幕を付されて閲覧できるようになっているのです。国境をこえ

た証言は、どのように受容されるのでしょうか。


証言は、語られ、書かれ、時に映像化されます。


このような見方とは異なり、哲学者、P.リクールは、その著書のなかで、破片や彫られた像、住

居跡などを、「書かれた証言」に対して「書かれざる証言」と呼びました(ポール・リクール、久米

博訳『記憶・歴史・忘却<上>』新曜社、2004年)。このように考えると、建物の残骸は「書かれ

ざる証言」の一つといえるのかもしれません。


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写真は、爆心地公園にうつされた浦上天主堂遺壁です。上にある石像は、ザベリヨ(ザビエル)

と使徒であるといわれています*(長崎国際文化会館編『碑は訴える』長崎市発行、1986年)

[*上の写真では一部の石像が隠れて見えなくなっています。(2007年8月16日加筆)]


浦上のカトリック信徒らが赤煉瓦(や石材)を積み上げ、浦上天主堂が完成するまでに30年以

上の歳月を要したようです。上記の写真から想像するのは困難ですが、もともと建物は左右に

二つの塔がありました。それらの高さは26メートルに及び、当時は「東洋一」を誇っていたとい

われています。


ところが、浦上天主堂は、原爆により倒壊や焼失の被害をうけます。その際、二人の神父と奉

仕作業をしていた信徒が下敷きになり(長崎市役所編纂『長崎原爆戦災誌 第一巻』長崎国際

文化会館発行、1977年)、約8500人もの浦上信徒が爆死したそうです。


天主堂の残骸に関しては、それを保存すべきという声もあり、論争になったようですが、結局、

1958年3月14日に取り壊しが始められました。残骸の一部は爆心地公園に移される一方、新

しい天主堂が建設されました(長崎の原爆遺構を記録する会編『[新版]原爆遺構 長崎の記

憶』海鳥社、2005年)。


「書かれざる証言」をめぐる複雑なせめぎ合いの結果、爆心地公園に移されたのは浦上天主堂

遺壁の一部分でした。これに対して、被爆後まもない浦上天主堂の写真は、原爆の威力をより

雄弁に物語るように思われます(被爆前と被爆後の旧浦上天主堂の写真が掲載されている前

述の『[新版]原爆遺構 長崎の記憶』をご覧ください)。もとの「書かれざる証言」の全体が失わ

れてしまった、あるいは部分的にしか残されていない、このような場合には、やはり、「書かれざ

る証言」を記録する写真の重要性が際立つように思われます。


付記(2007年8月16日)

当初の文章は、長崎の原爆遺構を記録する会編『[新版]原爆遺構 長崎の記憶』(海鳥社、

2005年)の部分的な要約になっていたため、関連する他の資料を参照して、大幅な加筆・修

正を行いました(なお、後半の記述については、『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編 改

訂版』を参照し、今後、再確認したいと考えております)。冒頭は新たな書き下ろしです。

なお,Le Mondeのウェブサイトについての記述を修正しました。


付記(2007年8月16日夜)

長崎市役所編纂『長崎原爆戦災誌 第一巻総説編』(長崎国際文化会館発行、1977年)で

は、「奉仕作業をしていた信徒数一○人が天主堂と運命をともにした」(360~361頁)と書か

れています。これに対して、改訂版では、「奉仕作業をしていた信徒十数人が天主堂と運命をと

もにした」(414頁)となっています(長崎原爆資料館編集『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編 

改訂版』長崎市発行、2006年)。改定版の正誤表が作成されておりますが、上記の点に関す

る記述はありません。

なお、本ブログの文章では、上記の信徒数に関する記述を削らせていただきました。
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by aphorismes | 2005-11-14 00:18 | [資料集] 記憶 mémoires