写真と日記


小学生か中学生の頃だったと思うのですが、詩や小説の解説などに接したとき、感動という言葉に違和感を

抱いたことを覚えています。きっと当時は、感動という言葉を実感しながら作品を鑑賞できなかったからで

しょう。作品を創作する契機となる感動といったものがあるとして、それが理解できたかどうかについては今

も心もとないのですが、小さな感動のようなものがきっかけで、日記が書けるということは、時折、あるような

気がします。


こんなことを考えているうちに、日記のかわりに写真を撮ってネット上に公開する人のことを思い出しました。

ファインダーでどこを狙うか、複数の写真からどれを選ぶか。写真からどこを切り取って使うのか。どれも選

択の連続ですが、文章の推敲においても、意味は違うとはいえ、やはり選択が伴うような気がします。


しかし、ここで注目したいのは、別のことです。一日に一枚、印象的な場面を写真で撮ることと、一日に一

回、印象的なことについて書くこと。そうした違いは、一日の思い出や意味をどのように変えるのだろうか、

と。


問題は思い出すことに限定されないことでしょう。写真になりそうな場所にいってみる、あるいは日記に書ける

ことを探しにいく、さらには特定のことに敏感になるなどと、その日の経験それ自体も変わるような気がする

のです。
[PR]
by aphorismes | 2009-02-27 19:13
<< 散歩日和 電話帳 >>