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石段を通る日


ある日曜日の夕方、竜宮城のような形をした朱色の入り口をくぐりました。先ほどまでの街の雰

囲気は消え去りました。頭上には無数のランタンが吊り下げられ、その下に石段が続いている

のが見えます。階段を上がると境内はすでに人で賑わっていました。水で冷やされたラムネも

売られています。中国盆第三日であることを知り、また、時間の余裕がある休日ということもあ

り、ここに来たのでした。


本堂の左側には、絵が飾られている一角がありました。そこには、お店を描いた多くの絵が小さ

な庭を囲むようにして飾られています。どこか寂しげな雰囲気を漂わせているのが印象的でし

た。それらは全体として三十六軒からなる商店街を表しており、地上に舞い降りた死者の霊の

ために設けられていると知って納得します。過去の資料によると、食料に関連する店や、家具

公司、百貨公司、理髪社などがあったようでした。さらには、質屋や棺桶屋まで。ひっそりとした

お店を描いた、けれども、どこか味わい深い絵を堪能して、その庭をあとにしました。 


あるお堂のテーブルの上には、お供え物が並べられていました。丸い小さな容器に盛られた精

進料理の供え物が何十列も所狭しと並んでいます。着色された寒天が鮮やかでした。瞼を閉じ

た豚の顔も供えられています。別のお堂には、それぞれ表情の異なる仏像が並んでいました。

その表情の豊かなこと。


まだ行事は始まらない様子です。下調べはしたものの、行事の正確な時間までは分かりませ

んでした。そのうち、境内を歩く人々が、開始時刻を口にしているのを聞きました。すこし余裕が

あるようです。一旦、街の方まで降りて、近くで時間をつぶすことにしました。


再び、石段を上がる頃には、あたりは暗くなっており、びっしり並んだランタンの明かりが雰囲気

を盛り上げていました。境内にはいると、奥の方に沢山の人が集まっています。太鼓が鳴り響く

なか、踊りが人々の注目を浴びていました。写真を撮っている人もいます。当初、太鼓の響きは

規則的で単調に思えたのですが、聞き続けているうち、次第に気分が高揚してくるのでした。そ

して踊りもクライマックスを迎えます。


その後、あるお堂で中国盆会の説明が始まりました。運営の経験に基づいた説明の後、次の行

事は午後十時から開始されると知らされました。あと九十分近くもあります。しかし、最後の行

事を見に来たのです。とりあえず、石段を降りて街の方に向かい、本を読んで待つことにしまし

た。コーヒーとウーロン茶を飲み干す頃には、ざっと本に目を通していました。最後の行事の開

始時刻が迫っています。


再び石段を上ってみると、境内は大勢の人で混雑していました。中座したために気分がかわっ

たのは残念でした。そんなことを考えているうちに、突然の轟音。耳をつんざくような爆竹の音が

鳴り響きます。金山、銀山が燃やされ始めたのでした。六角錘に組んだ細い竹に金銀紙を貼っ

たもので、霊のための金銀貨を表しているようです。


炎はかなりの火力があり、数メートル離れていても熱が感じられる程です。消防衣で身を固め

た人たちが炎を取り囲んでいます。次第に、爆竹の音は聞こえなくなっていきました。それから

先は、赤い小さな燃え滓が、夜空へと静かに舞い上がっていく様子が印象に残りました。そして

一人、また、一人と立ち去っていきます。


日常の生活では、一般に、死の世界とのつながりは希薄になっているように思います。これに

対して、お盆は特別かもしれません。旧暦の七月に行われる中国盆会の場合、中国と日本の

文化が出会う場のようにも思われます。そこには、宗教的世界観を共有する華僑の信者の方だ

けではなく、私なども含め、興味を抱いた様々な世代の人が見物にやってきます。交錯する生

と死、中国と日本、宗教と世俗。地上の赤い燃え滓が夜空に消えていくのを見届け、私は石段

を降りて再び街の方に向かいました。


参考文献

團 龍美「長崎華僑録<写真歳時記>」『時中 長崎華僑時中小学校史 文化事誌』1991年

『長崎事典 風俗文化編 改訂版』長崎文献社、1988年。


付記

草稿を含めた文章を投稿してしまったため、不要な部分を削除しました。
by aphorismes | 2007-09-18 22:46
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